無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10075日

 普通の大人なら、脅されたり、カツアゲされたりしたら、間違いなく警察に被害届をだすだろう。今なら携帯電話でその場でパトカー出動を要請することもできる。良い世の中になったもんだ。昔住んでいた多摩地区には、一階が交番になっている賃貸ビルがあった。オーナーが自費で交番スペースを設けたらしいから、かなりの出費になったはずだが、安全性が高まることを考慮すれば得だと思ったんだろう。交番があったら襲われる危険性がかえって高くなる、などと考える人は普通はいないだろうな。

 しかし、国防のことになるとそうではなくなる人達が、昔から一定数いるようだ。平和を愛する諸国民は悪いことをしない、こちらが仲良くしたいと思っていると争いになることはない。もし争いになれば降参すればいいなどということを、大の大人が言っているんだから話にならない。平和憲法などと称して有り難がっているが、そんなに良いもんなら、70年間でさぞや多くの国が採用していることだろう。

 そもそも国家というものは、その器に合わせて防衛力をもつことが、周辺国にたいする義務であると考えるほうが正しいと思う。強い経済力のある国はそれなりの軍事力を持つことで、地域のバランスを保つ責任があるし、それによって戦争も避けることがでようになるはずだ。戦争も喧嘩と同じで、痛いのはいやだから、誰もしたくはないが、やるからには勝たなければならない。日本人も敗戦の悲惨さは嫌というほど経験したはずだ。

 原爆投下直後の広島に上陸した海軍軍人だった伯父が、宇品から広島駅に向かう途中、あちこちで聞いたという「兵隊さん、仇をとってください。」という言葉は、当時の日本人の心の声だったはずだ。どんな理屈をつけても、国際法違反の民間人大量虐殺という事実は消すことはできないはずだった。しかしそれから70年たち、この大虐殺ですら今の日本では一部の勢力によって政治の道具にされ、「兵隊さん、仇をとってください。」と言った、本当の意味での国民の怒りを消し去ってしまった。これが戦争に負けるということの本当の意味なのかもしれない。

 昔、米軍の記録映画で見た、厚木から東京へ田舎道を移動する米軍輸送車を警備するために立たされたていた、日本の警察官も通りすがりの農民も、みんな輸送車に背を向けて立っていた光景が忘れられない。それを思うと国歌も歌わず、日の丸も掲げず、国のために戦争で亡くなった人たちを犬死といい、国を愛するという言葉すら憚られる今の日本にしたのは、戦後生まれのわしらの世代にも責任はあるとおもっている。たしかに油断していた。日本が戦争に負けたのは8月15日だけではない、それは単に物理的な負けであり、それから70年間、精神的には負け続けているのではないだろうか。