無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10044日

 昨日の夕方、テレビのニュース番組で特攻隊生き残りという人を紹介していた。どこかの特攻基地で出撃前に終戦になった人のことかと思って見ていると、どうやら年齢が92歳らしい。そうすると大正15年か昭和2年生まれということになり、終戦時18歳か19歳ということになる。

 24時間以上前のことなので、記憶違いのところもあるかもしれないが、その人の話によると次のような内容だった。場所は海軍三保基地、隊長にこれが最後になるかもしれないので正月に帰省するように言われた。家に帰ると多くの親族が集まってくれた。そこで写真を撮ったが、母親は泣いていた。ある日隊長に集められて終戦を告げられた。バットのような精神注入棒で叩かれてひどい目にあわされた。戦争は絶対にいかん。これからは戦争体験を語る活動をしていきたい。

 これを聞いていろいろ不思議に思った。まず写真に写っているそのご本人の制服は予科練の七つ釦であって、下士官のものではない。知る限り三保基地から特攻隊が出撃した記録はない。このことから、この人はおそらく予科練修了前に終戦を迎えたのではないだろうか。わしも予科練修了前に終戦を迎えた所謂予科練帰りの人は何人か知っていたが、特攻隊の生き残りと自称する人はいなかった。当時は周りに本物の戦争経験者がたくさんいたから、予科練帰りが戦争の悲惨さを語るなど笑止千万だったことだろう。

 変に思ってチャンネルを確認すると、やはりテレビ朝日の番組だった。92歳といえば、この人もおそらく昔のことはほとんど忘れているだろうから、戦後知った知識か、あるいは最近知った知識で語るんだろうが、もともと予科練しか知らないんだから、訓練がしんどかったとか、精神注入棒とか、絶対に戦争はいかんとか、抽象的なことしか言えないんだろうと思う。

 それにしても、とうとう予科練帰りの人まで特攻隊生き残りとして紹介するようになったということは、本当の戦争体験者のほとんどの人が亡くなられたということなんだろう。テレビ局がわざわざこういう人を探してきて、戦争の語り部と称して子供に話を聞かせるというその目的は何なんだろうな。

 鶴田浩二も特攻隊の生き残りということを売りにして映画やテレビで活躍したが、本当は搭乗員ではなく整備兵として見送る側だった。最初は自分の存在価値を高めるために特攻隊を利用したのかもしれない。しかし鶴田浩二はその後の行動で特攻隊を語る気持ちに嘘偽りのないことを示し続けた。

 今回のこともテレビのタイトルとはいえ、特攻隊生き残りと称することで、その存在価値を高めようというような不純な動機がないのだろうか。92歳になって語らされるこの人も、ある意味マスコミの被害者だといえるのかもしれない。