無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10033日

 世の中にはいろんな人がいるものだが、わしなんかは昔から短気で有名だった。すぐにかっとする性格で、さらにそれが表情にでてしまうという最悪のパターンで人にも迷惑をかけてきたし、損もしてきた。この性格で得をしたことは一度もない。子供が同じような性格になったらどうしようと心配していたら、3人ともまあまあ穏やかな性格のままで成長してくれたのでほっとしている。

 こんな性格なんで、人との交渉事は苦手で、対立することをうまく纏めるのは至難の業だった。ちょっともめると所謂ちゃぶ台返しをしてしまうので、相手にあきれられたことも何回もある。親兄弟みんながこんな性格かというとそんなことは無い。これはわしだけだった。親父なんかは土地の境界でもめたときも、話し合いで最後はこちらの主張を認めさせているから、怒ることもなく、きちんと話を積み上げていくことができたんだろう。

 もう半世紀以上も前の話だが、隣の土地を300万円で買った土建屋S組が、勝手にうちの敷地に50cmほど入って家を建てようとしたとき、すぐに話に行って中止させたことがあった。わしはまだ子供だったので、ただ親父はすごいなあと感心したのを覚えている。大きくなってから、土建屋相手にあの時どんな話をしたのか聞いたことがあった。親父は県職員だったが別に土木行政にかかわっていたわけではないので、決して業界に顔が利いたわけではない。

 相手はこちらが全くの素人だと勘違いして舐めてきたらしい。登記簿をとりだして、図面通りに測量すると、うちの家が50cmほど侵入していると主張してきた。しかし昭和26年に畑を購入した時には図面で購入したわけではない。ここの道路からここの小川までというようにアバウトな取引が行われていた。それに合わせて家を建てたんだから後から作られた図面よりも今の境界が正しいことは間違いない。

 こう主張したところ、土建屋はここを買うときに正しく測量したと主張してきた。これで黙るだろうと思ったのかもしれない。ところが残念ながら親父は県で林道設計なんかもやっていたので測量はお手の物だった。測量はどこか一点を基準にしたはずだがそれはどこかと聞くと、一軒向こうの家との境界から測ったと答えた。そこで親父はこのように言ったらしい。

「よしわかった、私が今度はうちとお宅との境界を基準にして、反対方向にこの一画30軒ほどを全部測りなおしてあげましょう。どこの家も図面で確認して買った土地はひとつもないんだから、全部の境界がずれてきますが、いいんですか。全部の境界を変えるとなると大変なことになります。お宅がうちと境界でもめるといいことはそういうことなんですよ。」

 すぐに引いたということは、相手も土建屋だからそんなこと初めから知っていて、うまく騙せればもうけものくらいの感覚でいちゃもんつけてきたんだろう。それから10年ほどして、なんと3000万でそこを売って土建屋Sは郊外に引っ越した。10年で10倍になったと聞いてみんな驚いた。今でもSが主張した境界の位置に、一本の南天の木が植わっている。一度おふくろになんであんなところに南天の木があるのか聞いたことがあった。おふくろは、「隣のSさんがここまでは自分の土地だと、悔し紛れに勝手に植えていったもので、ほっとけばいいんよ。」と笑いながら話していた。

 親父もおふくろも死んで、この木の由来を知るのもわしだけになってしまったが、この成長した南天の木を見るたびに、土建屋相手に交渉した親父はすごかったなと思い出される。