無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10026日

 10月7日に今年の秋祭り子供神輿巡行が行われた。事故もなく盛況のうちに終了したのでほっとしている。たかが子供神輿とはいえ、運行責任者として警察に届けているということは、万が一事故があった時はいやも応もなく矢面に立たされるわけで、責任の度合いは他の役員とは比較にならない。

 3町で持ち回りでやっていたのだが、今年から1町が高齢化を理由に祭りの当番町内会になることを拒否してきたので、来年からは2町で回すことになった。話を聞けば、仕方がないのかなと納得せざるを得ないが、高齢化に関してはどこの町も例外ではない。10年後はどうなっているのかしらないが、それは厳しい状況になっているだろう。

 今回はちょうど「あと10705日」に書いた、友人のK君も役員になっていたので、白髪頭になったK君と何十年ぶりかにゆっくり話す機会をもつことができた。子供のころは毎日のように一緒に遊んでいても、学校も仕事も住むところも違い、ましてや結婚して家庭を持つと、同じ町内とはいえ、お互い会うことも無くなり、気が付いたらいつの間にか二人ともじじいになっていたという感じだった。3人称で呼ぶときはKさん、○○さんと呼んでいても、いつの間にか○○ちゃんと昔の呼び方が出てくるのは仕方がない。

 わしは反対なんだが、子供神輿に参加すると中学生は5000円、小学4年生から6年生は2000円の謝礼をだすことになっている。いくらなんでも5000円は多すぎだろうと総会で言うと、今の子はそれくらいお金を出さないと誰も来ないんだと言われた。60年前に神輿がほしいという子供らの声に応える形で作ってくれた神輿だったはずだが、5千円を払わないと子供たちが出てこない時代になるとは、当時の賑わいを知る一人としては寂しいかぎりだ。

 それでも2時間神輿をかいたのなら納得できるが、当日出てこないのにお金だけもらいに来た人がいたのには驚いた。神輿巡行終了後に本人に手渡しするのが通例なんだが、爺さんと思しき人が出てきて、○○の分は私が貰って帰って本人に渡しますと言ってきた。見るとわしより年配の人だったので、あまり問い詰めるのも悪いなと思い、その子は何らかの理由で途中で帰ったのかと勝手に理解して渡してしまった。

 後でそのことを会計担当者に話すと、その子は出発前の点呼のときからいなかったと言われた。孫が頼んだのか、爺さんが気を利かしたのかしらないが、こんなことは子供の教育上もよろしくない。「家は知っているんで取り返してくるか w w w w w」などと話は盛り上がったが、来年からきっちりやろうということで終わりになった。

 これで祭りの担当が回ってくることは当分ないが、終わってみるとほっとするとともに、もう終わったのかという感じもしている。元気にみんなのお世話ができるということは本当に幸せなことだと思う。なんでもそうだが、どうせやるなら嫌々やるよりも積極的にかかわったほうが楽しいし、豊かな人生を歩むのに役に立つことは間違いない。わしは今まであまり積極的な人生を歩んできたとはいえないが、この年になってそういうことが何となくわかるようになってきた。これも年の功というのかな。