無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9945日

明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします

 

午前9時過ぎに国旗日の丸を掲揚して今年も始まった。朝日を浴びて翻っている日の丸は本当に美しい。

昨夜は二男と一緒に、久しぶりにテレビで格闘技を見た。いくら好きなことで金になるとはいえ、大晦日にこんなに痛いことをしなくてもいいのに。

それにしても、最後にちょっとでた、あの金髪の少年は何がしたかったのかよくわからない。解説と称してばか騒ぎしていた人たちが煽りにあおった挙句、試合後の手のひら返しもひどかった。

ほとんどテレビを見ない私でも名前は覚えたから、知名度を上げるという点では少しは効果があったのかもしれない。

さて、「無駄に生きるとはどういうことか」と名付けたこのブログも、はじめてから2年と8か月がたった。

この世に生きて、家族や周囲のいろんな人たちと交わり、失敗したり、考えさせられたり、心配したりしながら何となく過ごしているが、その時間も一日一日と減って、あと9945日となった。

しかし、減っていることを意識するということはつらいことだが、決して悪いことばかりではない。

その一日一日を常に意識しながら真剣に生きることは、その手の本に書かれてあるほど簡単なことではないし、漫然とそれらしきことを考えたり、それらしきことを読んだり、それらしきことを人にしゃべったりしたところで、本当の死に対面した時、役に立つとは思えない。

そんなことよりも、毎日一回でも生きられる時間が減っているということを意識することができれば、小さな一歩でも前に進めるのではないかと考えている。

従容として死を迎えることができるということは、カウントダウンもまた楽しいということなのかもしれない。