無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9850日

花子もまだ立つことはできないが、少しだけ這って歩けるようになり、希望がもてるようになってきた。後はあせっても仕方がないので、リハビリをしながら気長に待つことにした。

さて、新しい年号が令和に決まり、世の中お祝いムードが漂っている。今回は古事記からだろうと思って予想していたので、万葉集だったのには少しがっかりもしたが、令和という年号は大変気に入っている。少なくとも平成の時に感じた違和感はない。

皇室の存在については、年を取ればとるほどその価値がよくわかるようになってきた。連綿と続いてきたということだけで稀有な存在だといえる。そして、その皇統を維持するためには男性皇族が少ないということがよく言われている。

そんな中で、女性宮家創設という話が時々でてくるが、どう考えれば皇統の危機を女性宮家が救うんだろう。

男系男子しか皇統を継ぐことができないのに、将来どこかの「田中さん」か「鈴木さん」かしらないが、女性宮様の配偶者になった者を皇族にするという制度ができたところで、解決できることではない。

皇室の存在意義は今の家族としての天皇家の存在というよりも、万世一系の皇統を守ることにあると思っている。例えば、どこかの「田中さん」が法律上皇族になったとしても、それは「田中さん」が単に国家公務員としての職を得たようなもので、少なくとも日本では、国民の尊敬の対象にはならないだろう。

何もそんなことしなくても、戦後皇籍離脱した旧皇族の適任者に復帰してもらえばすむ問題だと思う。この間、安倍首相が旧宮家復活に言及したと言われているが、今言われている皇統の危機は、これで解消できるということはわかっていると思うんだが、他の誰もそれに言及しないのはどうしてだろう。これは多くの国民が疑問に感じているはずだ

安倍さんにしても、旧皇族の人たちは民間人としての生活が長いとか言っていたようだが、先祖代々民間人の「田中さん」や「鈴木さん」はいいが、70年ほど民間人として生活をしただけの旧皇族はだめだということにはならないだろう。

さらに言えば、たとえ今は民間人として生活していても、旧宮家として血がつながっている以上、それは民間人ではなく皇族だと思うんだが。

いずれにしても、古代から現代まで天皇とともに、連綿と続く年号を維持してきた日本の歴史をうらやましく思ったところで、今更地球上のどの国もまねることはできないんだから、これは痛快なことだ。