無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9801日 オメガの腕時計

先月、46年前に香港で購入したオメガの腕時計を二男にやった。この時計は22歳の時、初めての航海で香港へ行ったときに、給料をほとんどはたいて父親に土産で買って帰ったものだが、10年ほど前に分解掃除をして返してきたものだった。

何万円もかかったらしいが、時計屋さんに良いものだから大事に使ってくださいと言われたらしい。もう十分使ったから返すと言って置いて行った。たしかに年をとると、重い時計よりは軽い時計のほうが使いやすいのは事実だが、そいいうことではなく、自分の寿命より時計の寿命のほうが長いと気が付いたのかもしれない。

いい時計というのは頑丈なもので、二男が何十年か使ってまたその子供に引き継がれるかもしれないと考えると、楽しくなる。

私は時計にステータス感じることもないし、高い時計がほしいと思ったことは無かったが、当時の船内に、KINGSEIKOの最高級品を持っている、時計好きの人がいて、当直中にいろいろ時計の話してくれた。

私にもバンスしてロレックス買ったらいいと勧めてくれたが、時計に何十万も出す気はなかった。しかし今から思えば、船に乗っていれば生活費はかからないから、あの時に思い切って買っておけば、今頃高く売れたかもしれない。

この間父親の法事をしたとき、久しぶりに帰ってきた兄と二人で飲んだ。翌朝空き缶が山のようにあったから、二人ともかなり酔っぱらっていたんだろう。その時に仕事から帰ってきた二男をつかまえて、「わしは、S君(二男のこと)が大好きだ。お前にわしのロレックスをやる。」と突然言いだした。

昔仕事で一年間マカオに行った時買った、オイスターなんとかという高い時計をやるというんだが、言われた二男もなんと答えたらいいのか困っていた。まあ酔っぱらいのいうことだから、真面目にとるなよと言ってはおいた。

しかし、後から思ったんだが、案外兄もオメガを返しに来た父親と同じような気持ちだったのかもしれない。というのも兄夫婦には子供がいないので、自分が死んだあとも時を刻み続ける時計は、血のつながった大好きな甥に大事にしてもらいたいという気持ちもあったのかもしれない。

とはいえ、酔っぱらいのそんな話を傍で聞いていた兄嫁の気持ちや如何?というところかな。