無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9764日 神聖喜劇

処分する予定の本を、玄関にうずたかく積み上げてはみたが、それから先になかなか進まない。2階の玄関は使ってないので、いつまで置いていても別に問題はないが、その山を見るたびに気が滅入ってくる。そこで先週のこと、一念発起して行動に出た。

といっても、試しに「神聖喜劇」全5巻を近所の古本屋に持っていっただけだが、予想通りというか、その買取値段の安さにはがっかりしてしまった。最近、この地方では有名な産土神社の横にできた、T書房という古本屋だ。

なぜ「神聖喜劇」を最初に売ったかといえば、この本はとにかく読むのに骨が折れる本で、もう二度と読むことはないということがはっきりしているからだ。

主人公東堂二等兵の、読者が辟易するほどの博覧強記についていくだけの教養が、残念ながら自分にはなかったことも、原因の一つかもしれない。

読みにくい本で、果たしてこの本の隅から隅まで読んだ人が、著者以外に本当にいるんだろうか、と思えるほどだ。

漫画化もされていたので電子書籍で購入して読んでみたが、さすがに内容は希釈はされていた。それは当然のことで、あれを全部入れていたら漫画にはならないだろう。

そんなことをいろいろ考えながら、本を提げて店に入ると、30代と思しき、ちょっと頼りなさそうな、古本屋には似合わない可愛らしい女性が出てきた。本当に本の査定ができるのか少し不安になった。

買取をお願いすると、「少々お待ちください。」と言って、奥へ入っていった。カチャカチャとキーボードを叩いている音がするので、古本業者のデータベースでも検索しているのかもしれない。

5分ほどして出てくると「800円でいかがでしょうか?」と言ってきた。もう一声とは思ったが、面倒くさいのでやめにして、素直に800円を受け取った。

これでやっと5冊は片付いたことになる。なんかほっとした。

ついでに、家に古い本がいっぱいあることを話すと、出張査定もしますと言って店の名刺をくれた。これで買い取り値段さえ気にしなければ、この店に電話すれば、家にある本はすべて片付くことはわかった。

ネットで売ることも考えたが、特殊な本なので気軽に買うようなものでもないし、たぶん買い手はつかないだろう。

女房とは夏までに処分すると約束していたのに、もう夏になってしまった。秋までにはなんとかしなくては。