中高の歴史の教科書でも、建武の新政を行ったと簡単に紹介されていた後醍醐天皇だが、今ではほとんど忘れられているようだ。戦前の一時期、忠君愛国のシンボルとして持ち上げられ、国民に多大な影響を与えた楠正成ですら話題になることもない。
高校でも国史を取らずに卒業できるらしいから、うちの子供らも何も知らない。特に興味もないので、自分で歴史の本を読むこともなかったらしい。嘆かわしい限りだ。
少なくとも国史くらいは必修にすべきだと思うが、日本が嫌いな社会科教師もたくさんいるようなので、変な授業をされるくらいならないほうがいいのかもしれない。
まだ現役のころ、中学の同窓会で県立高校の社会科の教師をしているY君と話したことがあった。Y君は、職場の社会科教師の政治的偏向がひどすぎると憤慨していた。いわゆる左巻き一色ということだ。
そういうY君自身も、真実に覚醒したのは最近だと話していたから、蒙昧な人生を20年以上送ったことになる。
Y君は、自分は気が付いたからよかったが、気が付かずにまだ変な思想を語って、子供らを洗脳しようとしている教師がいるんだから、困ったものだと話していた。6人の社会科教師がいて、Y君以外はみんな左巻きなんで、それを正そうとしても多勢に無勢で話しにもならなかったらしい。
さて、話は南北朝に戻るが、伯父の家の近所に立派な長慶天皇陵がある。
近くに大日本史にもでてくる南北朝の古戦場跡があるので、少しは南朝方と関係があったのかもしれない。
長慶天皇とは南朝第3代天皇だ。資料が少なく最期についてはよくわからないが、明治天皇が南朝が正統だと勅裁を下したことが切っ掛けとなって、長慶天皇も正統と認められるようになり、皇統譜に加えられたということらしい。
大日本史の後醍醐天皇を読んでいくと、尊氏が作らせた偽の神器を持っただけの、現皇室につながる北朝はインチキだと言わざるを得ないが、まあ、そこらあたりいろいろ見方があるんだろう。
終戦直後、南朝の熊沢天皇という人が出てきて、昭和天皇に皇位を請求して話題になったことがあった。初めてその話を知った若いころは、そんなことは荒唐無稽だと思っていたが、後醍醐天皇の末裔はどこかにいるはずだし、南北朝に少し興味を持つようになると、それもありかなと思うこともある。