無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9733日 さよなら韓国

いよいよ明日になった。何がといえば例の韓国ホワイト国はずしのことだが、本当にネットの力は大きくなったものだ。20年前だと考えられない。なぜか知らないが韓国に対しては遠慮がちだった。

パブリックコメント募集なんかも、ネットで周知されなければほとんどの人が気が付かなかっただろう。そして一部の関係者だけが意見を投稿して、流れをきめてしまうということが、ずっと行われてきたのではないか。

だれだったか忘れたが、日本は朝鮮半島でいいこともしたんだと言った閣僚が即座に罷免されて驚いたこともあったし、竹島にことなんかも隠されて、自分で調べようとしなければ知ることもできなかった。

子供のころ、韓国が勝手に引いた李承晩ラインで、巡視船が身を挺して韓国警備艇から日本漁船を守っていたことも断片的には知っていたし、少し大きくなると、戦後朝鮮人第三国人だと称して暴れて、多くの日本人が被害を受けたことなんかも山口組の本などで知っていた。

時々それらのことが浮かんでくることはあっても、普段は気にすることもなかった。マスコミがそういう情報を与えなかったのだから、国民が興味を持たないのは当たり前だ。

在日朝鮮人指紋押捺拒否についても、日本人と同じようにずっと住んでいるにも関わらず、外国人と同じように扱うのはおかしいというように報道されていたように覚えている。在日朝鮮人といったところで、単なる外国人だろうと今ならわかるが、当時は自分もそれで納得していた。

マスコミによる情報操作は、半世紀以上もの間、誰が誰に何を忖度していたのだろう。

実にバカバカしいことで、こんなことをしているから嘘がばれた今になって両国関係が回復不可能なまでに歪になってしまったともいえるのではないだろうか。

ネットの登場によってマスコミの統制が効かなくなり、日本人の記憶の片隅にバラバラに置かれてあった、韓国朝鮮はおかしいのではないかという小さな断片が結合されて、一枚の大きな絵になったといえるのかもしれない。

個人的には立派な人も知っているが、もうこの大きな流れは変わらないだろう。

一般社会でも、別に隣人だからといって仲良くする必要はない。つかず離れず、是々非々で淡々と付き合えばいいのであって、国同士も同じことだ。

それにしても明日の閣議が楽しみだ。閣議を楽しみに待つのは、多くの日本人にとって生まれて初めての経験だろう。