無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9720日 名古屋の思い出

8月5日から7日まで、息子と6歳、3歳の孫2人と一緒に、車で名古屋のレゴランドまで行ってきた。

さすがに名古屋は遠かった。名古屋駅近くのホテルに泊まって6日丸一日をレゴランドで過ごしたが、レゴになんの興味もないものにとっては、言うことをきかない孫たちに振り回された、ただ暑いだけの一日だった。

息子にしても、できれば女房に一緒に行ってもらいたいというのが本音のようだったが、仕事の都合で無理なのでやむなくこちらにお鉢が回ってきたというのが本当のところだろう。

それでも誘ってくれるということは、私でも多少は役に立つと思われているということかな。

昔から名古屋というか中京地域は、私らにとっては単なる通過点にすぎない、縁の薄いところではあった。ただ、昭和49年11月に名古屋港から初めて三朝丸という5千トンの重量物貨物船に三等機関士として乗船したので、私にとっては思い出の場所でもある。

その日、神戸の本社に寄って辞令をもらい、その足で新幹線に飛び乗り名古屋へ向かった。地下鉄で終点まで行って、大きな荷物を背負って税関の前をとおり埠頭に停泊中の三朝丸に乗船した。

船は韓国から帰った来たばかりで、船内はまだその話でもちきりだった。いわゆる妓生パーティーというやつだ。今はそんなことも否定して、他国に道徳を垂れてきれいごとを言っているが、我々の年代以上の人たちはみんな知っている。

よっぽど楽しかったようで、もう一か月早く乗船していたらよかったねと言われたが、遊びすぎて淋病をもらって下船した人もいたようだから、何事もほどほどにしておかないと。

その後5~6回は名古屋港に入港したが、周辺は今と違って寂しい場所だった。その当時税関と警察が争っていたらしい。港の敷地内に税関があり、出たところに派出所があったんだが、私が乗船する少し前に、税関が見逃してしまった密輸を、出口にあった派出所の警官が摘発したことがあった。

メンツをつぶされた名古屋税関はそれ以来やたら厳しくなったと聞かされた。確かに税関の前を通るときにいろいろ質問されたが、それ以後、神戸にしても横浜にしてもそんなこと聞かれたことなかったから、そういうことも関係していたのかもしれない。

それにしても、今回のトリエンナーレとかいう馬鹿なことをやらかしたのをみていると呆れてしまう。こんな人間が愛知県知事として選ばれていることだけで恥ずかしいことだと思うんだが、民意はそうでもないらしい。本人も責任転嫁して辞める気もないようだし、いやはや何ともとしか言いようがない。