無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9674日 友達再発見

先日16歳から21歳まで過ごした学校の同期会があった。最初の同期会の時は来島海峡大橋の工事が行われていたから、40代の半ば頃だったと思う。この時はみんな現役だったにもかかわらず、約半数、40人ほどの参加者があった。

すでに外国航路の船長や機関長になっている者もたくさんいた中で、最速で船長になったH君はなんと28歳だったといって話題になっていたのもこの時だった。

この時は、顔を見たらすぐに名前が浮かんできたから、みんな卒業した時の面影を残していたんだろう。

ところが、定年の年に行われた第2回同期会では、名前を聞くまで誰だかわからない者が大勢いた。中には名前を聞いても「そんな奴いたかな?」と思い出せないこともあったくらいだ。60代になると顔の相がかわるのかもしれない。

以後2年毎に行われるようになり、顔と名前が完全に一致したので、謎解きのような楽しさは失われた。そして参加するものとそうでない者が固定してきたような気もしている。

学校では仲のいい者同士はすごく親密になったが、同じ釜の飯を食った仲間とはいえ、みんなが仲が良かったわけではない。寮生活は決して楽しいことばかりではなかった。

入学時は全校生徒200人余りで、たった80人の同期生だったが、それが5年間一緒に生活しても、一言も話したことがない者が何人もいたくらいだから、関わりの濃淡が極端だったといえるのかもしれない。

私は1年ちょっとで船の世界から離れたので、利害関係もなくなり、その後の付き合いはほとんどなかった。すでに自分の中では、日本では海運業界は超マイナーな世界であることは常識となっているが、40年海運界で仕事をしてきた彼らにとってはそうではない。

彼らは国際物流を担ってきたことに誇りをもっているし、それは尊敬に値することでもある。

ただ、惜しむらくは話が一般受けしないということかもしれない。面白くないのだ。当人同士は面白いのかもしれないが、部外者にとっては退屈この上ない。

寮生活のときの話をしようとしても、ほとんど忘れているし、不思議なことに家族の話はほとんどしない。趣味の話もないので、初めて来ても話が続かない。盛り上がっているのは普段から付き合いのあるグループだけだ。

これでは出席者がだんだんと減ってくるのも仕方がないのかもしれない。

会を繰り返すうちに懐かしいという気持ちも薄れ、面倒くさいと思うこともある。惰性で参加するのではなく、気持ちを切り替えて、新しい友達を再発見するくらいの気持ちで参加するほうがいいのかもしれない。