無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9664日 農地改革

今年も秋祭りが無事終了して反省会が持たれた。反省会という飲み会ではあるが、町内会長も今年で終わるので、来年は参加することもないだろう。

最近ではこのような集まりも参加する人が少なってきた。昔は役員以外の人も参加してにぎやかにやったこともあったが、今では役員でも半数くらいしか集まらない。平日ということや、5時からという時間帯も問題があるのかもしれないが、一番の原因は考え方の変化なのかもしれない。

しかし、私らのように子供のころからこの地域に住んでいた者にとっては、すでにじいさんばあさんになってしまった大先輩の話を聞けるいい機会なので、楽しみな時間でもある。

今回は戦後の農地改革の話がでてきた。一言でいえば、農地改革とは社会党の片山内閣の時に行われた政策で、小作人不在地主からただ同然で土地を取り上げて、自分のものにできたというものだが、これによって大地主は没落してしまった。

うちの近辺にも広い田畑や借家を持ち、その子孫が大きな家に住んでいるが、子供のころから、その人たちは昔からの地主で、所謂お歴々に違いないと信じて疑わなかった。

ところがどうもそうではないらしい。

これを話してくれたのは私より7歳年上のKさんだが、私がその場で名前をあげた、Sさんも、Iさんも、Oさんも、みんな小作人だったようだ。小作人だからどうということはないが、自分の中でのブランドイメージは地に落ちてしまった。

もう4代目になっているのでみんな知らないだろうし、何とも思わないだろうが、あの人たちはずっとコンプレックスを持っていたんだとKさんは話していた。

それら20町歩もあろうかと思われた農地を持っていた大地主のNさんの屋敷もすでになく、子孫がどこへ行ったのかは誰も知らない。

松山城にはNさんが寄付したN櫓が今でも残っている。現在の価値なら億単位の寄付らしいが、昔の本当の金持は金の使い方を知っていたということかな。

その後しばらくして、作物を作って収入を得るだけの役目しかなかった土地が、売って金になるという時代になり、とてつもないお金が、元小作人の懐に入ることになった。これこそまさに不労所得なんだから、本来なら元地主にも還元する施策をすべきではなかったか。

しかし、Kさんのような小規模兼業自作農家は、余分に売る土地もないので、小作人だった人のようにコンプレックスこそなかったが、金にもならなかったという結論で大笑いとなり、この話は終わった。