無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9580日 国旗掲揚

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

さて、令和2年の元旦の朝は快晴で、掲揚した国旗日の丸は、朝日に輝いていた。

町内で唯一国旗を掲げるようになって15年目になるが、追随する家は一軒もなかった。祝日を国旗を掲げて祝うという習慣がいつのころから始まったのかは知らないが、私が10代の頃には、うちは掲げていたのを覚えているので、習慣が途絶えたのはそれ以降ということだろう。

したがって、少なくとも今の70代以上の人は、各家庭で祝日に国旗を掲げていたことを覚えているはずなのに、この15年間何の反応もないのはおかしいと思っていた。

正確に言うと、この15年間一軒もなかったわけではない。近所に海上保安庁を退職して帰って来た人がいて、その家には日の丸が翻るようになった。さすが管区保安本部長経験者だと喜んでいたら、残念なことに数年で亡くなられてしまった。そしていつの間にか国旗掲揚も見られなくなった。

そんな中で、先日、祝日の我が家にはためく日の丸の旗について聞かれたことがあった。

去年の年末のことだ。地区民生委員の忘年会の時に、同じテーブルになったMさんとKさんが、「おたくはいつも国旗を掲げているが、偉いですね。昔はみんな掲げていたのに、最近はだれもしない。やるべきだと思いますよ。」と話しかけてきた。

これを聞いて、この人たちも一応気にはしていたのかとうれしくなった。

Mさんから、家に国旗がないので買おうと思うが、どこで売っているのかと聞かれたので、ネットで買うこともできるし、近所のホームセンターにも国旗セット売ってますよと教えてあげた。その時に、ぜひ今度の正月には国旗を掲げましょうと話しておいたんだが、Mさんは掲げたのかどうか、今日は一日外へ出なかったので確認していない。

今回たとえMさんが掲げてなかったとしても、こういう話が近所の人との会話の中にでてくるようになっただけで、国旗を掲げ続けたこの15年は無駄ではなかったと思っている。

今の日本には、たかが国旗だと言う人もいるようだが、国旗とは国の象徴であり、存在を示すものでもある。自由にものが言えるのはいいことだが、それも日本という国が、しっかりしているからできることだろう。

国旗を大切にするという、世界では当たり前のことを当たり前にできる日本になってほしい。そして、若者が海外に出て恥をかくことがないように、義務教育課程で世界の常識をきちんと教えるべきだと思っている。