無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9578日 日本の民主主義

IR事業に絡んで国会議員に賄賂がわたっていたようだが、これを聞いても何も驚かないどころか、やっぱりなという感情しかわいてこないという現実は、本当はたいへん恐ろしいことだと思っている。

日本にスパイ防止法ができないのは、これができると多くの国会議員が有罪になるからだと、かなり前から笑い話のように語られてきたが、まさにその通りだったということだろう。

外国のスパイじゃないかと思われる国会議員をあげてみよと言われたら、誰でも10人くらいはすぐに浮かんでくるんじゃないのかな。少し時間をもらえればあと10人くらいはでてくるかもしれない。

もう一つ気になることは、民主主義の基本は選挙で代議員を選ぶということだと思うが、その選挙が信じられなくなったということだ。

以前から開票場所に多くの支援者が詰めかけて双眼鏡で開票作業を見ていたのは知っていたが、実際、そこまでやる必要はないだろうと、覚めた目で眺めていた。

ところが、香川県で開票作業中に特定候補の票だけ抜き取るという、選挙管理委員会による犯罪が行われた。裏では本当にこんなことが行われていたのかと驚いたが、双眼鏡で監視していた人たちは、そういうことがあるということを以前から知っていたということだろう。

最近になってタガが外れてきたのか、或いは以前からあったことが、今になって暴かれてきただけなのかわからないが、おかしくなっていることは事実だ。

今回のIRやゴーン逃亡、凶悪犯の死刑回避なんかをみていると、スパイ防止法も必要だし、出入国管理も厳格にやるべきだし、法律の厳格適用などきちんとするためのいい機会のような気もしている。

今のままで凶悪犯、テロリストや外国の侵略から国民の生命財産を守るということができるのかどうか。一応民主主義を標榜している今の日本では、憲法改正も含めて、すべては有権者が危機感をもって選挙に行かなければ何も解決できない。