無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9510日 憧れのAさん

去年の11月から、頼まれて民生児童委員をしている。3年任期で75歳定年らしいから、任期途中でやめなければ3期9年できることになっている。4年前に94歳で亡くなった父親もやっていたので、その頃の知り合いもいたりして話が弾むこともある。

この地域も年寄りが大半をしめるようになり、60代だと若手ということでいろんな役を頼まれる。町内会長は3月で任期が終わるのでほっとしていたら、今度は公民館分館の分館長を頼まれた。

分館活動に関わって2年しかたってないので、長年やっている人がいるのだからその人に頼んでくれるように言ったんだが、それでも頼むと言われて結局引き受けてしまった。誰かがやらなければ先へ進まないのだから、それはそれで仕方がないのかもしれない。

確かに役をすることは多少の負担は増えるが、逆に得るものもある。町内会長の2年間や民生委員活動で、子供の頃一緒に遊んでいたが、大人になってからは途絶えていた人たちとも半世紀ぶりに交流を持つようになった。

また、民生委員になって独居老人宅を訪ねているが、その中には子供の頃から知っている人もいて、時々会って昔の話をするのが楽しみでもある。

その中の1人の、

10歳年上のAさんという人は、私が幼稚園から小学校の頃に近所の県立高校に通っていた。うちの前を通って毎朝通学していたのでよく覚えている。この人がそれは上品できれいな人だった。兄に言わせると鄙には希な美人らしい。

私も、こんなきれいな姉ちゃんがいたらよかったのにと、憧れの目でみていたが、所詮はなたれ小僧の妄想で、10歳の年の差はとてつもなく大きかった。

Aさんは大学卒業後すぐ結婚してよそへ行ってしまった。結婚したと聞いた時は、ちょっとがっかりもした。

その後、ご主人と死別して35年くらい前に帰って来たらしいが、顔を合わす機会は無かった。

今では月2回ほど,、安否確認にAさん宅を訪ねている。まともに口をきくのは生まれて初めてだった。年はとっても今でもきれいで上品な話し方をする人だった。

子供の頃を知っている人に会うと、昔のように、○○ちゃんと呼びそうになるけど、立派なおとなになった人を、ちゃん付けで呼ぶのは失礼かなと思って呼べないと言っていたが、是非とも○○ちゃんと呼んでもらいたいものだ。

Aさんは私の子供の頃の時代風景を知っていて、ある時期の共通の記憶を持っている数少ない人の1人であり、昔ばなしも面白い。また、子ども心に憧れの人でもあった。少しでも元気に長生きして楽しい話を聞かせてもらいたい。