無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9498日 コロナ騒動でわかったこと

今回の武漢から広がった新型コロナウィルスは、戦後75年の歴史が孕んできた様々な矛盾点を明らかにしてしまったようだ。多くの人たちが見てはならないものを見てしまい、聞いてはならないことを聞いてしまったのかもしれない。

日本にはなぜか国際連合信仰があり、そこに莫大な額の分担金を支払ってきた。そもそも国際連合などと呼んでいるのは日本だけで、本当は連合国だということは、中学生でもわかることだ。

日本では、国連がこう言っているということが、政治やマスコミの世界で錦の御旗の役割をしてきた。情報統制を通じて、国連の無謬性を疑ってはならないという世論作りがなされてきたことは間違いない。

国連の無謬性とはとりもなおさずWW2戦勝国の無謬性であり、東京裁判の無謬性でもある。これも日本弱体化を目的としたWGIPの一環だろう。日本国民は見事にはめられて、表立って国連を批判する政治家もマスコミもみたことがない。こうして、戦後利得者による予定調和の世界は平穏に過ぎていったはずだ。

恥ずかしいはなしだが、じつは私自身も日本ユニセフに募金をしていた時期があった。あのアグネス・チャン日本ユニセフだ。戦後教育で洗脳されて、国連無謬性を信じていたんだろう。おかしいと気が付いたのは東京の一等地に自社ビルを建てたことを知ったときだった。

それ以来寄付お願いの封書が来たらそのまま破って捨てるようになったが、子供達にまで寄付を勧めていたのだから、とんだ罪作りな親だったとおおいに反省している。

そんな国連だが、今度のコロナ騒動で自ら馬鹿をさらけ出してくれている。黙っていたらばれないのに、ネット社会はほんとうに愉快だ。

ひとりのエチオピア人にcovid19と呼べと言われても、やっぱりそれはチャイナウィルスだろう。トランプ大統領もそう呼んでいるし。それとも武漢肺炎か。

ひとりのポルトガル人にチャイナに感謝しろといわれても、チャイナウィルスを世界に広めてくれてありがとうと感謝するのかな。

世界中がリアルタイムで情報を共有する時代に、何を言っていることやら。

国連だけではない。なんとEUも高邁な理想をいとも簡単に捨てて、国境を閉じてしまった。困ったときこそ助け合わないといかんだろうに。

調子のいいときはうまいこと言っていても、未曽有の災害がおきて、苦境に陥ったときにこそその真価が問われるのは人間も社会も一緒だ。

今回のコロナウィルスで分かったことは、結局最後に頼れるのは自分の住んでいる国しかないということなのかもしれない。国境を固め、製造工場を国内に帰し、国内で生産し、少々高くてもメイドイン日本を買う。内需を喚起し国内で金を回す。そしてブロック経済へ。TPP結んどいて良かった。

ブロック経済には当然安全保障も含まれる。TPP締約国同士の相互防衛が必要になる。TPPの中心は日本なので日本が軍事力を高めるよう要求が出てくる。そして憲法改正あるいは現憲法廃棄。さて、どうなるか。

歴史は繰り返すというが、世界は100年前に回帰しているようだ。