無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9475日 ゆきちゃんの思い出

70も近くなり、先も見えてきたような気もしている。とは言え、ここまで元気で生きてきたのだからもう少し生きて、死ぬ時まで元気でいたいと思うのも人情だろう。そんなことを考えているといつも思い出すのが、若くして白血病で亡くなった近所の「ゆきちゃん」のことだ。

Nさんの娘さんで、私より5歳か6歳か年上だったような気がしている。思い出すのはいつも同じ場シーンだ。

Nさんの家には時々遊びに行っていたので、ゆきちゃんはよく知っていたが、病気だということは知らなかった。小学校の1年生か2年生の頃のことだからそれも無理はないだろう。

あれはおそらく昭和34年の春先のことだと思う。私とK君と二人でうちの前で遊んでいた。K君とは「あと10705日」に出てきた、一緒に少年探偵団ごっこをしていた子供だ。

家の前は田んぼで、二毛作の麦が植えられていた。その向こうがNさん宅だった。ふと顔をあげると麦の穂の向こうに、着物を着たゆきちゃんがこちらにやってくるのが見えた。K君と二人で見ていると、それに気が付いたゆきちゃんが優しく微笑んでくれた。

「ゆきちゃん、どこに行きよるん?」私が聞くと、「映画を見に行きよるんよ。」ゆきちゃんは立ち止まった。K君が「僕らもついて行ってかまん?」と聞くと「ええよ、一緒に行こ。」と優しく手招きしてくれた。

当時あった本町劇場まではゆっくり歩いて20分くらいかかったと思うが、入場料も持ってないし、私はゆきちゃんと一緒に歩きたかっただけで、映画を見たいという気はなかった。

途中何を話したかほとんど覚えてないが、入場者に紛れてこっそり入ってみようというと、よからぬ相談をK君としていたのは覚えている。当然ゆきちゃんもそんな話は聞いていたはずだ。

映画館に着くと、ゆきちゃんは入場券を買って入口の当たりに並んだので、私たち二人もその後ろに並んだ。当時の映画館はいつも満員だった。そしてゆきちゃんに続いて、もぎりのカウンターの下をくぐるように館内にもぐりこんだ。してやったりと二人は満足した。と記憶はここ途切れている。

しかし、今から思えばそんなにうまくいくとは思えないし、ゆきちゃんがそんな悪事を許すはずもない。きっとゆきちゃんが子供2人分を出してくれたんだろう。一緒に行こうと誘ってくれたときから、そのつもりだったのだと思う。

後年母に聞いた話では、その頃にはゆきちゃはもう学校にも行けなかったので、具合が良いときに慰めに映画を見に行っていたらしい。

それからしばらくしてゆきちゃんは亡くなった。

ゆきちゃんとの記憶はこれだけだが、今でもあの時の笑顔が忘れられない。

それにしても、Aさんといい、ゆきちゃんといい、あの頃の近所のおねえちゃんは、なんであんなに優しかったんだろう。