無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9322日 読了「THE REMAINS OF THE DAY」

2017年10月25日、あと10378日の記事で、ノーベル賞作家カズオイシグロの「日の名残り」を読んだ感想を述べたことがあった。そしてその最後に「執事とイギリス貴族がどんな英語を話しているのか気になったので、kindleで原書を購入した。長い付き合いになりそうだな。」と締めくくった。

それから約3年たち、今月、9月10日午前0時53分にその長い付き合いもようやく終わった。曲がりなりにも英語の文学作品を全部読み通したのは生まれて初めての経験だった。ビジネス英語なら単語さえわかればどうにでもなるが、文学作品はそうはいかない。どうしても日本語にならないところはハヤカワ文庫の土屋政雄訳にお世話になった。

また、すべての文を一度意味を取った後、訳本で確認しながらだから、なかなか進まない。結局3年かかったとはいえ、毎日読んだわけではないし、2~3行しか読まない日もあれば2ページ読むこともあったが、何回も出てくる単語は覚えるので読むスピードはだんだん速くなった。

結果的には、訳本も一語一語しっかり読んでいったので、日本語の勉強にもなったようだ。外国語の勉強方法としてはこの方法は案外使えるのかもしれない。時間がかかるのが玉に瑕だが。また、この土屋政雄氏の翻訳がすばらしい。英語だけでなく日本語の達人でもある。

読み終えた時は、多少自分なりの達成感はあったが、今更こんなことをやっても何の役にもたたないだろう。しかし役に立たないことだから面白いともいえるし、そんなことをゆっくりやれることが、案外人生で最高の贅沢だといえるのかもしれない。

今はイプセンの「A Doll's House」を読んでいる。若いときから戯曲に興味があり、訳本はたくさん持っているので、白水社イプセン名作集のなかにある杉山 誠訳「人形の家」を参考にしている。ただ40年前に購入した本なので、字が小さい。

あと9322日、94歳まで続ければ、あの世でシェークスピアに会った時に、挨拶位できるようになるだろうか。