無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9256日 キレる老人

このブログを書き始めて4年半ほどになるが、今までに「あと10911日」「あと10848日」「あと10827日」の3回、「キレる老人」を見て笑ってきた。そんなことをしていたので天罰が当たったのかどうか、なんと今回はその当事者になってしまった。さんざん怒鳴り散らされたが、いやはやなんとも、もう笑うしかなかった。

相手は私より少し年配というところだろうか。70代前半くらいかな。その日は女房の母親を一年ぶりに大学病院に連れていく日だったので、朝9時前には病院玄関で女房と母親を下ろし、車を止めるために第2駐車場へ向かった。

第1駐車場をつぶして駐車場増設工事が行われているために、第2駐車場もいっぱいで、車があふれていた。3回ほど回っても止める場所がなかったのであきらめて少し離れた第3駐車場へ行こうとしたとき、ちょうど出口あたりに止めてあったトラックが動き出した。

自分の車が一番近い位置にあるので、これはラッキーとばかりにバックでその場所に車を停めた。その時に白線の外側に一人の老婆が立っているのが邪魔でしょうがなかったので、窓を開けて「そこにいたら危ないですよ」と声をかけて気を付けて入れた。

その時だった。右方向から一台の軽4がすごい勢いでこちらへやってきて、すぐ前に停まるやいなや、勢いよくドアを開けて一人の老人がすごい剣幕で現れた。何事かとこちらも窓ガラスを全開にして様子をみていると、大股でこちらへやってきてドアに手を置いて目を吊り上げて凄んできた。その通り正確に書くと「こりゃー、おまえなんでそこに停めとるんじゃい、そこはわしが停めるとこじゃ、のかんかい。はよのけ」

まるでチンピラだ。どうやらこの場所を譲れと言っているらしい。どこに停めようが大きなお世話だ。見た感じ、身元はしっかりしているようにも感じたが、よくわからない。この状態で窓越しに手を出されたら、常磐道であった煽り運転事件と同じ状態になってしまう。ケガしてもさせてもいけないので、さっさと窓ガラスを上げた。すると相手はあっさりと車に帰った。これはあきらめたかと思っていると、じいさん、こちらをにらみながら盛んに手を振って、出ていけという所作をしている。

その時、ふと先ほどわきに立っていた老婆のことを思い出した。そして、ひょっとしてあの老婆が場所取りをしていたつもりだったのかもしれないということに気が付いた。こんな込み合った公共の駐車場で、車もなしに駐車スペースを確保することが許されるのか、はなはだ疑問だったがとにかく降りて話を聞いてみることにした。

近づくと最初少し驚いたようだった。「よくわからんのだが、いったいどういうこと?」と聞くとその老婆が「この場所をとっとったのに~。」といかにも恨めしそうに言うので思わず笑ってしまった。年寄りが黙って白線の外に立っていたところで場所取りにもならんだろうに。

まあこの老婆が場所取りしていたというのならそれでいい。「ああ、そういうことなん。それなら譲ろうわい。怒らずにちゃんと説明してくれんと何のことかわからんよ。」と言って車に乗った。車を出しながら、先ほどの老人に手を振ると相手も返したきたから、この時は自分の短気を少しは反省していたのかもしれない。それならいいんだが。

キレる老人も見ている分には面白いが、相手にするのはかなり疲れるということがよくわかった。