無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9088日 人生で大切なこと

スエズ運河座礁したコンテナ船がいまだに差し押さえされているようだが、正栄汽船も大変なことだろう。事故当時、船主の正栄汽船が記者会見しているのを見ていて驚いた。同期のX君がいるではないか。どっかの会社で偉くなっているとは聞いて知っていたが、まさかテレビの画面越しに出会うとは思ってもみなかった。

10年近く前のこと、定年退職後の同期会で卒業以来初めてX君と顔を合わせたとき、私の方を振り返って「○○君おれのこと覚えているか?」と尋ねられたことがあった。その時本当に失礼な話だが私は彼の名前どころか、彼が同期にいたことさえ忘れていた。勿論40年ぶりに会うのだから顔と名前が一致しない同期生は他にもいたが、名前を聞いてもすぐに思い出さなかったのはX君だけだった。

そんなX君が今第一線で会社を背負って奮闘しているのをその時改めて知って、がんばれよとエールを送らずにはいられなかった。同期会で出会った後、学生時代のX君のことをいろいろと思い出したが、浮かんできたどのシーンでもX君は笑顔だった。同期で何人か役員になって今でも働いている人がいるが、その人たちを見ていて共通しているのは、みんな明るいし素直だったということだ。成績も自己主張も大切なのかもしれないが、なるほどなあと納得してもらえて、人に好かれるということは社会で生きていくうえで一番大切なことだったのかもしれない。

..............というようなことに60を過ぎてやっと気が付いた。遅いよと思われるかもしれないが、残り少ない人生とはいえ、気が付いただけでも大きな進歩だと思いたい。ついでに斜に構えて社会を馬鹿にして、偉そうに能書きを垂れてきた自分の恥ずかしい60年をリセットしたいものだが、これは墓場まで持っていくしかないのかな。