無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10255日

 女房が金曜日の朝から、高速バスで二男の家に行って留守なので、犬との生活も今日で3日目になる。金曜日は、小太郎も花子も寂しそうなので、ずっと横に座ってテレビでオリンピックを見たり、ネットを見たりして過ごしていたが、それも一日で飽きてしまった。それにしても、こいつ等はなんでこんなにうんこをするんだろうかな。子供の時に飼っていた秋田犬の交ざった雑種の「ぺす」は朝と夕方の散歩の時にしかしなかったんだが。

 特に神経質で依存症の小太郎なんだが、ちょっと目を離すとうんこをしているという状態で、よく出るなと感心している。当然出る量は少なくて、小指の長さくらいの時もある。少し円を描くように曲がっている状態は、勾玉のようにも見えるので、うちでははそれを「勾玉うんこ」と称している。小太郎はうんこをした後、肛門が汚れていることがあるので、拭いてやると喜んでいる。やはり犬でも気になるようだ。

 それに気が付いたのは、2年前に一階をリフォームして、床に初めてカーペットを敷いた時だった。それまでは犬が汚すので敷物は使わなかったんだが、その表面のざわざわした感じが小太郎には心地よかったのかもしれない。ある時ふと見ると、小太郎が座ったままの姿勢で1mほど平行移動し、さらにそれを何回か繰り返していた。わしはそれを見て、こいつ、肛門を拭いているんだなとピンときた。

 汚いと言えば汚いんだろうが、見たところカーペットも汚れてないし、うまいことやるもんだと感心してしまった。それ以来うちではそれを「ムーンウォーク」と称している。この前このカーペットの上で、息子、娘夫婦やばあさんを呼んで食事会をした時に、何回もよく拭いて掃除は抜かりなくしたんだが、娘はなんか臭いと言っていた。わしも女房も、そうかなと、とぼけておいたが、「ムーンウォーク」をやっていたら、いくら掃除してもそりゃ多少は匂うだろうな。

 小太郎も花子も子供みたいなものだから、少々匂っても何とも思わないし、勾玉うんこもムーンウォークもかわいいもんだが、長男や長女は、自分の子供には犬は触らせない。度が過ぎると、たまにはカチンとくることがあるのも事実だ。とはいえ、そういうわしらでも、よその家に行った時、室内に犬がいたり、うんこが転がったりしていると、ええっと思うこともあるから、それはそれで仕方がないんだろうな。