無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと9598日 憲法改正

憲法改正自民党の党是らしいが、いつになったら実行するんだろうな。大勲位中曽根元総理にしても、あれだけ大見えを切っていたのに結局何もしなかった。安倍総理衆議院参議院の選挙で勝ち続けているのに一向に進まない。野党のせいにしているが、それだけではあるまい。

いつになっても進まない原因の一つに、敢えて火中の栗を拾わなくても、9条に関しては、有事には解釈改憲で間に合うと思っているのではないだろうか。超法規的措置というやつだ。これで以前自衛隊のトップが更迭されたことがあったが、憲法が変わらない以上国民を守るためには、自衛隊は超法規的に動くしかないと考えるのは当たり前のことだ。

あわてて更迭したということは、口に出して言ってはいけないということなのかもしれない。しかし、本当は国民の多くはそう思っていたのではないだろうか。

法律通りやると、戦闘中に信号無視で警察に逮捕されるとか、移動中に速度違反で反則切符を切られるとか、ウィンカーが付いてない戦闘車両が道路を走ったら整備不良で減点とか、ほんと漫画の世界だ。今ではチャイナも朝鮮も既に知っているだろうが、初めて知ったときはびっくりして椅子から転げ落ちたことだろう。

軍法に匹敵するものがないので、捜査や警備は警察に任せることになっているが、警察は無法状態では役に立たない。まさに悪党に保安官が撃ち殺されていたアメリカ西部の開拓時代と同じ状況だ。そういう状況で、政府は憲法を遵守しながらどうやって国民を守ってくれるのか、きちんと説明する義務があるのではないだろうか。

それをしないで、自民党も口だけで何もしてこなかったということは、暗に有事の超法規的措置を認めているということだろうと信じている。

例えば今の憲法では正当防衛しか認められないから、攻撃されなければ反撃できないとか言われているが、これだって先に攻撃されたと言えばいいだけだ。参戦するためにアメリカもよく使った手だ。

それよりも、一番の問題はマスコミの誤った世論誘導かもしれない。最近でこそネットの普及ですぐに嘘がばれるようになり、こんなことをずっとやっていたのかと呆れた国民も多いことだろう。天網恢恢疎にして漏らさず。国民が知ることにより、戦争利得者が行ってきた様々な悪行が浮かび上がってくるかもしれない。

この間ある飲み会で、先輩が戦争に負けてみじめだったという話をしたので、「そうそう、戦争に負けてはいかん。負ける戦争はしてはいかん。」と言ったところ、私以外ほぼ全員が「それは違う、戦争はしてはいかんのだ。」反論された。

もちろん戦争は無いにこしたことはないが、最悪の場合も考えておく必要もあるのではないのか。防災に関して、最悪の場合を想定して準備しなければいかんと話している人たちも、こと防衛問題になると思考が停止してしまうようだ。