無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8894日 利根4号機

ミッドウェー海戦における索敵ミスについては、戦後多くの書物で侃々諤々の議論が行われてきて、すでに出尽くしたと思っていたが、先日利根の航海士による天測ミスという説があるということを初めて知った。偵察員に知らせた艦隊位置が北へ大きくずれていたいうものだ。

確かに120浬ほど北に4号機射出地点を移して予定コースを飛び、角田論のとおり少し端折って側程に入ると、打電してきた架空の敵位置を通る可能性があることがわかる。4号機収容後、八戦隊参謀が偵察員の持っていた航空地図を見て、海図上にその位置を書き込んで「彼我の距離200浬」言ったそうだから、それが事実なら司令部も艦隊の位置を間違えていたということになるが、そもそもそんなことがあるのか。

艦隊行動をとっている他の艦は正確に飛ばしているということは正しい位置を得ているということで、利根だけが間違っていたということになるが、自身の船乗り経験からも、天測は継続的に行われて、その都度に海図上に記されていくから、ある時突然100浬もずれるとおかしなことになり、すぐに間違っていることがわかるはずだ。

また、ミッドウェー海戦当時、南雲艦隊が、無線封止のなかお互いがどのように連携していたか正確に知る人はすでにいないと思うが、発行信号による位置の確認くらいは行われていたのではないだろうか。それならばあらかじめ針路は決まっているはずだから、そこから大きくずれることは考えられない。当直中の航海士が天測した結果を海図に記入した段階で、その結果に疑問を持つはずだ。

とにかく船というのは変針するまではほぼまっすぐ走るもので、変針もしないのに突然100浬北にずれたら、天測ミスはすぐわかる。

0845になって1航艦司令部が利根4号機に長波輻射するように命じたということは、1航艦司令部は利根4号機が発信した敵位置がおかしいということに気が付いたということだと思うが、八戦隊に問い合わせることはしなかったのか、原因を追究したという記述はどこにもない。その後八戦隊司令部は利根4号機に艦の現在地、行動予定を知らせて帰投をたやすくする措置をとった結果、四号機は無事帰投したのだから、この時点でも1航艦司令部の海図上に示されてた艦隊位置と、八戦隊の海図上の艦隊位置が100浬以上違いがあったということになる。.....................................

 

いろいろ書いてきたが、航海士のミスという説はにわかには信じられない。

ほんとうに大日本帝国海軍は乾坤一擲の大海戦を目前にして、艦の現在地という基本的な情報を共有できないほどおそまつだったのだろうか。すでに、若年で戦いの末端にいた人による「戦士たちの遺言」などという本が書かれる時代となり、戦を俯瞰できた当時の幹部はみんな死んでしまった。

この問題も栗田ターンと同じく、永遠の謎ということで、それぞれが思いを巡らせて、当時の若者が国のためにその礎となり、死んでいったことに思いを馳せるきっかけになればいいのではないだろうか。