今週月曜日に宮崎正弘著「歩いてみて解けた古事記の謎」という電子書籍を購入して、ゆっくり読んでいる。この著者の本は他にも数冊持っているが、テンポのいい読みやすい文体で書かれていて面白い。
スサノオ、大国主命、神武天皇、崇神天皇、ヤマトタケル、神功皇后、雄略天皇の伝承地を巡って見えた古事記の実像と紹介されているとおり、伝承地を著者が歩いて感じたことがいろいろ書かれている。
スサノウと大国主に関しては、古事記神代巻に書かれてあることだから、ほとんど暗記しているのですらすら読むことができた。古事記は如何様にも読めるので、100人いれば100通りの読み方がある。しかも、それが正しいか間違っているかを誰も判定できないという面白さがある。
読んでいると、60歳で定年退職して以来、私自身が歩いて回った場所がいろいろ出てきた。伊勢神宮、神武天皇陵、景行天皇陵、崇神天皇陵、熊野大社、那智大社、速玉大社、鹿島神宮、山野辺の道周辺の古墳や神社、諏訪大社、宇佐神宮、気比大社、熱田神宮、能褒野など、著者は霊気と言っているが、実際に歩いてその場の空気に触れなければわからない何かが存在することは私自身が感じてきたことだ。
今まであまり語られなかった「高志国」についても著者は大きく取り上げている。私自身も八千矛神の御妻問の段に「この八千矛神、高志国の沼河比売を婚ひに行幸しし時云々」と書かれてあるのと、それに続く歌を読んでいると、高志国がもっと大きな意味を持っているように感じていた。継体天皇は高志国の大王だったと書かれたあるがまさにそのとおりかもしれない。
GHQによって学校教育の現場から神話が消されて70年も過ぎてしまった。神話をなくすということは、文字で記録される以前の数千年数万年の民族の歴史を語る術を持たなくなったということに等しい。神話を復活して、理解するのではなく感じるということの大切さを、学校教育の場でも考え直す必要があるのではないかと、この本を読んで感じた。