無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8824日 山登りは楽しい

元日から始めた山登りは、雨が降らない限り毎日続いている。実際に始めるまでは、本当にできるかどうか心配だったが、やってみると実に楽しい。なぜ今までこれをやらなかったのかと後悔している。

今日も12時半に家を出て、千秋寺山~天神山~山越側に迷いながら降りて2時間ちょっとかかったが、天気も良くて快適だった。

ここの丘陵地は知っているだけで4つの山があり、最高峰でも天神山が海抜200m、あとは150m前後で、それを尾根伝いに歩いていくだけなのだが、落葉樹、常緑樹、竹林が入り混じっていて、アップダウンだけでなく周りの変化も面白い。しかもほとんど人と会わない。正月からほぼ毎日登っていて、5人しか会ってない

ただ、イノシシが定住しているので、こいつ等に出会わないことを祈っている。これだけの環境が家から10分の所にあるのだから、都会に住む人には考えられないだろう。

完全にリタイアしてこのブログを書き始めた時、子供の頃、夏休みになると明日は何をしようか、誰と遊ぼうかと毎日浮き浮きしていたように、年金生活もそれぐらい楽しいものなのだろうかと期待をしていたが、実際はそうではなかった。その経過についてはいろいろブログの中でのべてきた。

ところが今は山登りが楽しい。毎日、明日になるのが待ち遠しく、天気も気になる。確かにこれは夏休みになった時の子供の感覚に似ているような気がする。リタイア後の6年間の生活で、毎日が面白くないのは年齢によるものだと結論付けていたが、案外そうではないのかもしれない。

今思いつかなかったら一生山登りをすることはなかっただろう。山登りを始めるには、体力的にも今が最後のチャンスに違いない。このチャンスを生かして、この辺りの山から始めて今年中に石鎚山、来年夏には富士山に登るぞと宣言して、冗談だろうと皆に笑われている。半分は本気なんだけどな。