無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8760日 「文明の衝突」とウクライナ

多くの日本人は幸か不幸か、一生の間に宗教の問題について深く考える機会を持つことはほとんどないはずだ。一応仏教徒としてどこかの寺の檀家になってはいるが、親が死ぬとかして喪主として葬式をするまでそれを意識することはない。仏教以外にも様々な新興宗教とよばれるものもあり、それらがどんな宗教であっても、どんな神をもってきても、それが家族や社会に害悪を及ぼさないかぎり、人が信じることを否定することは無い。

こと宗教に関していたって平和で牧歌的な日本であり日本人だが、世界はそうではない。宗教とは信じるもので、生活というより人生の一部となっている。宗教とは理解するものであり、信じるものではないなどとキリスト教徒やイスラム教徒の前で言ったところで誰も相手にしてくれないだろう。

ウクライナの問題も宗教を抜きにしては語れないようだ。この間からサミュエルハンチントンの「文明の衝突」を読んでいる。それによるとソ連崩壊、ワルシャワ条約機構解体後、ヨーロッパの東の境界はどこなのかを再定義する必要があった。誰をヨーロッパ人としてNATOEU潜在的メンバーとするのかという段階で浮かび上がってきたのが、何世紀も前から存在している、西欧キリスト教徒とイスラム教徒および東方正教会系の人を隔てている歴史的境界線ということらしい。

その境界線をgooglemapに当てはめてみると、イバノフランコフスクとルーツクあたりを南北に結んだ線となっていて、それ以西がヨーロッパだということだ。ということはキエフも含めてほとんどのウクライナ東方正教会としての中核国であるロシアの影響下に置かれるべきだということになる。したがってウクライナ統一を保つ限りNATOには入れてもらえないということになる。

このように世界では宗教というものは経済のみならず安全保障の核ともなり、周囲を海に囲まれた日本では考えられない厳しさがある。この本の中で「統一帰一系教会の影響下にありながら西欧寄りのウクライナが存続できるのは、強力かつ効果的な西欧の支援がある場合だけだ。西欧がそのような支援をするのは西欧とロシアの関係が極度に悪化し、冷戦時代に似た状況になった場合だけだと思われる」とある。

ウクライナは西欧の全面的支援の下でロシアの侵略と戦っているが、これは世界秩序が大きく変動する時代がまたやって来つつあるということだろうか。ハンチントンが生きていたらこの状態をどのように解釈するだろう。