無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8688日 都会から地方へ

私が子供の頃には、春になると集団就職列車で都会に向かう中学生が話題になっていた。それら少年が地方から都会へと集まり、高度経済成長の礎となった。少年だけではない。都会の大学に入学した者もそのほとんどは都会の企業に就職して地方に帰って来ることは無かった。地方から都会に人が集まり今の日本の繁栄を築いたと言っても過言ではない。

昔は貧しい子だくさんの地方があり、そこから優秀な若者が豊かな都会を目指していたが、今や日本全国どこへ行っても子供の数は少なくなり、昔のような貧しさは感じられない。テレビの影響か、皆同じような清潔でこざっぱりした服装をして、テレビ言葉でしゃべっている。何も好き好んで都会に行かなくても、生まれ育った地域の中でけっこう豊かに暮らしていける。

勿論今でも職を求めて都会に出る若者もいるが、昔のようなエネルギーは感じられない。日本全体が均質化することにより、人的流動性が失われてしまったと言えるのかもしれない。それに加えて少子化だ。供給源を断たれた都会では労働者不足で、日本人がいないなら外国人でと、様々な都合のいい制度を作り招きいれているが、利益は都会が得て、コストは全国民が支払うというのはおかしい。

そもそも東京一極集中はダメだとか、首都移転とか、一時期盛んに言われたがあの話はいったいどうなったのか。決める側の人間がみんな東京に住んで、子供に良い教育を受けさせたいと考えている以上話が進むわけがない。当地出身の国会議員の子息も東京生活のあげく、親が引退すると落下傘で降りてきて地方再生を語っている。

国立大学法人化の頃に、東京と神戸の商船大学を合併して、技術継承のための新たな商船大学を、東京以外の地方に設立しようと画策したことがあったという話を友人から聞いたことがある。結局その話はつぶれて、それぞれが東京水産大学神戸大学の一部となった。対抗意識と同時に東京以外ということもネックのひとつになったようだが、商船大学という伝統のある看板を無くしても守りたいものがあったということだろうか。

四国以外は新幹線が走り、隅々にまで地方空港が整備され、高速インターネットが張り巡らされ、宇宙には通信衛星が飛び交っている今の時代に、首都を東京においておく理由はないだろう。そうなると皇居は京都御所へ。官庁も大学も大手企業も地方に移ったところで業務に関してほとんどは困る事は無いだろう。

もはや、地方の高校を出て都会の大学にはいり、卒業して大企業に就職、その後定年まで安泰という時代ではなくなった。戦後続いた地方から都会への人の流れは、減ることはあっても増えることは無いだろう。受け皿さえあれば地方の優秀な学生は地元に残りたいと考えている者も多いと聞いている。今こそ戦後続いた地方から都会へという流れを断ち切り、地方から地方へ或いは都会から地方へという流れを創出しなければ、日本の新たな成長は望めないのではないだろうか。