無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8651日 安倍元総理暗殺

7月8日に遊説中の安倍元総理が暗殺された。このことが日本の将来にどれほどの影響を与えるのかと考えると、馬鹿なことをしてくれたという怒りだけで済む問題ではない。7月8日迄なら、たとえどこかの国と外交問題が起きたとしても、或いは自民党がおかしな方向に走ったとしても、安倍さんがいるだけで何となく安心できた。その重しが無くなったということを、これから先様々な場面で実感することになるのだろうか。

政権後半は、国指定難病である潰瘍性大腸炎までも笑いものにするような、下卑たマスコミに悩まされながら、日本だけでなく世界に大きな足跡を残した。その様々な功績により、歴史にその名を留めることだろう。安倍さんの死は悲しいことだが、戦後日本のの転換点ともいえる安倍内閣の歴史を、リアルタイムで体験できたことは、自分にとっては幸せななことであったと言えるのかもしれない。

もし、阪神淡路大震災東日本大震災の時に、安倍総理であったらもっと多くの命が救われたのではないだろうか。戦前の日米交渉の場に安倍総理がいたら、日米開戦を防いで数百万の若者が死ななくてよかったのではないだろうか。蒋介石と交渉して日華事変を終わらせたのではないだろうか。日英同盟を維持して、世界の孤児にならなかったのではないだろうか。

すべては妄想にすぎないが、安倍さんならそんなこともできたのではないかと思わずにはいられない。それくらい国民に希望を与えてくれた政治家だった。この先これだけの政治家が現れるかどうかわからないが、国民が選挙に行って、正しい方向に導いてくれるより良い誰かを選び続けることが、自分の家族や周りの人々のためになるということを忘れてはならないと思う。