無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと8408日 Yさんの死

頭ではわかっているつもりでいても、本当はわかっていないことの一つに、人の命の儚さということがある。まだまだ死なないと思ったところで、人は簡単に死んでしまう。死は容赦なくやってくる。他の生き物と何も変わることはない。

3月3日、担当していた独居高齢者Yさんが亡くなっていたと警察署の刑事さんから電話があった。家賃を集金に行った大家さんが発見して110番通報をしたらしい。Yさんは身寄りがなく、緊急連絡先電話番号も登録していなかったので民生委員としては何もできなかった。

夜になって、前任者の記録の中に妹さんの住所が見つかったので刑事さんに連絡すると、すでに連絡済みということだった。警察の情報収集力には恐れ入った。

すべて、今から思えばということになるがいろいろ兆候はあった。1月3日の夕方、担当独居高齢者宅の点灯を確認して回ったとき、Yさんの部屋は真っ暗で窓が少し開いていた。ドアや窓を叩いて呼びかけても返事がないので、部屋の前から電話をかけてみた。呼び出し音は鳴っているがでない。窓の隙間から覗いてみると電気ストーブがついていた。

その横に布団が敷いてあって寝ているようにも見えるが、起きてくる気配はない。これは亡くなっているんじゃないかと不安になった。民生委員は一人で入ることはできないのでとにかく110番通報をした。10分ほどで近所の交番から2人の警察官がやって来た。

事情を説明して中に入ってもらったところ、驚いたことに「おおっ」という声がして、Yさんがむくむくと布団から起き上がってきた。警察には、電話が鳴ったのも知っているし呼びかけられていたのも知っていたが、寝ていたので出なかったというようなことを話していた。無事でよかったということにはなったが、何か腑に落ちないところはあった。

その後1月16日に話を聞きに行った。「毎日が退屈で、仕事でもしていたほうがいいなあ。」と話していたので、社協のやっている高齢者向け催しのパンフレットを渡しておいた。また「鉢植えのサボテンが大きくなりましたね。」と言うと嬉しそうにしていたが、少し元気がなかったような気はした。

2月16日に訪問した時は、呼びかけても留守のようで会うことはできなかった。この時も1月3日と同じで、ひょっとしたら中で寝ていたのかもしれないが、起こすのも悪いのでそれほど深く考えなかった。夕方の点灯は確認したので安心していた。ただ、よく乗っていた自転車が、長期間動いた形跡がないことは少し引っかかっていた。

そして3月3日に死亡が確認された。

もしも1月から体調が悪かったとしたら、2月16日に行ったときに1月3日のような用心深さがあればまた違ったのかもしれない。夜間点灯確認をしていたとしても、夜間点灯中に亡くなっていたら消灯出来ないのだから、その後の点灯確認による安否確認は無意味になる。

民生委員としてできることには限りがあり仕方がないことだとはいえ、いかに生きるかという点では、もう少しお手伝いができたんじゃないかと考えてしまう。また一方で、誰にも迷惑をかけることなく死ぬまで一人で生活できたYさんは、いかに死ぬかという点では一つの解答を示してくれたような気もしている。