無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと7974日 文献歴史学の終焉

昔古文書関連の職場にいた頃、一緒にのんでいるときに、もしも古事記日本書紀以外の記録が発見されたら、古代史研究者はそれだけで一生飯が食っていけるだろうというような話を聞いたことがある。その人たちにとって古代史とはほぼ古事記日本書紀研究ということらしいから大した変化もなく、ある意味マンネリ化していたのかもしれない。

古文書の研究をしている人たちは残された文字しか信用してないから、文字がない時代の歴史にはお手上げだが、そのことを認めたくない人たちはそれ以前の歴史そのものを無視するか、或いは抹殺しようとすることもあるようだ。歴史の真実を知りたい多くの国民にとっては全く残念な話しだ。

古代史などと仰々しく言ったところで、たかだか1300年前にできた古事記日本書紀から始まったもので、それ以後のことは文字で書かれたものがあるのでわかるが、それ以前のことは書かれた内容から類推するしかない。したがってこれが絶対に正しいといえることは何もないはずだ。

日本列島にある、3万年前から1万年前までの後期旧石器時代の遺跡の数は2010年の集計で10150とされている。今はもっと増えているだろう。そこには途方もなく長い期間にわたって延々と繰り返されてきた縄文人の生活があったはずだ。3万年にわたる日本列島の歴史の中で文字による歴史は1300年にすぎない。そのたかだか1300年の殻の中で外の世界を無視し、イデオロギーにまみれた文献歴史学は曲がり角にきているのではないだろうか。

中学1年生の頃に市内伊台地区に貝塚があると聞いて、夏休みに友人と行ってみようと相談したことがあった。その地区は今でこそ車で20分も走れば行けるが、当時は本当に山の中で、中学生が持てる唯一の交通手段であった自転車で行くには遠すぎた。それにgooglemapもないから正確な場所もわからないし、先生に聞いても要領を得ない。今なら教育委員会に聞くとかいろいろ方法はあるが、昔のことだから残念ながらそれで終わってしまった。おそらく今はもう開発されて跡形もなくなっていることだろう。

それから60年たち、その頃に還ることはできないが、今年は関東の縄文遺跡を回ってみたいと思っている。さすがに三内丸山遺跡までは行けないが、尖石縄文考古館、井戸尻考古館、岩宿遺跡等現物を実際に見れば、また新しい何かを感じることができるかもしれないと期待している。