日本人は、いつ頃まで来年は今年より良くなると信じて生活していたのだろう。個人的には10代の頃の戦後の高度経済成長期は確かにそう信じていた。ラジオがテレビに代わり、プロパンガス、炊飯器、洗濯機、冷蔵庫、エアコンが普及してきた。おかげで七輪やかまどに火を起こす必要もなくなり、夏の暑さも気にならなくなった。大きな籠を下げて氷屋に氷を買いにいくことも無くなった。
当時子供だった私らも家の中が豊かになってくるのが嬉しかった。どのくらい豊かになったかということが母親が残していた父親の給与明細をみるとよくわかる。昭和40年代後半からなんと一気に倍近くになっている。父は県職員だったがそれまでは本当に低所得で、家族4人が良く生活できたものだと感心する。
この時は田中角栄の一声で公務員給与が上昇して、年末にはボーナスよりも差額の方が多かったと後々までも語られていた。安月給の代名詞だった公務員の給料が世間並みになったことで新たな需要が生まれ、経済にもプラスになったことは間違いない。ただ、この時には今のような公務員批判の風潮はなかった。みんなが明るい明日を信じていた時代だった。
アン真理子の「悲しみは駆け足でやってくる」ではないが、明日という字は明るい日と書く。そんな明るい明日は結局は物質的豊かさによって心の平安がもたらされた結果といえるのかもしれない。決して指導者がが今より優れていたわけではない。国民の目が届かない分、おそらく裏金も賄賂も今以上にやりたい放題していただろう。市会議員に頼めば市職員になれたし、代議士のコネがあれば財閥系企業にも就職できた。教育委員会のコネもよく効いたらしい。しかし豊かさを享受している人々は不公平に対しても今ほど不平を言わなかった。
その後バブル崩壊、就職氷河期、小泉構造改革、消費税と続き30年の停滞の結果、給料は上がらず取り残された感は否めない。貧困という文字が見られるようになり貧しくなったとさげすむような論調も見受けられる。人との違いを差別と言って大騒ぎをしたり、自分の権利だけ主張するような輩も増えてきた。これらも豊かさを享受できなくなった故であろうか。
しかし、戦後20数年間本当の経済的貧乏を経験した日本人からすると、今の日本人は決して経済的に貧しくはない。当時の我が家は家族旅行など夢のまた夢。年に一度誕生日の夕食にでてくる牛肉がほとんど入ってないすき焼きが楽しみだった。どこの家も同じような状況だった。経済的には今の方がはるかに豊かだ。それにもかかわらずこのギスギスした社会はどうしたことだろう。
この原因は、経済的貧乏と心の貧乏という問題に凝縮されてくるのではないだろうか。戦後は経済的貧乏ではあったが明日への希望という灯りによって心は貧乏ではなかった。現在はその逆になっているということだろう。ではなぜ戦後の貧しい時代に心の貧乏を払しょくすることができたかといえば、それは時代の雰囲気のせいだといえる。所得倍増、わたしは嘘は申しません、池田勇人首相の言葉は子供だった私でも覚えている。時代の雰囲気を作りだす役割は政治家にしか担えない。
それに続く田中角栄首相の日本列島改造だ。土木工事で全国を掘り返し、利権まみれだと叩く向きもあるが、日本中沸き立ったではないか。このような国民を鼓舞する清濁併せのむ指導者を国民が許さなくなった。水清ければ魚棲まずといわれるように、政治はきれいごとではない。清廉潔白だがなにもできない政治家よりも、料亭にも行き、妾も持ち、多少の金はちょろまかすが、国家国民のために汗をかく政治家のほうがはるかに役に立つ。国民も政治家を評価する基準を少し変えた方がいいのではないだろうか。