7月12日未明、松山城のある城山北側から流れ出た大量の土石流が麓の民家を押し流して3名の死者を出した。当日は未明からサイレンや防災放送が鳴り響き目が覚めていた。そんな時にどこかから今まで聞いたことのないよう大きな音がした。何事かと枕もとのランタンをつけて部屋の中を確認してみたが異常なし。そのままいつのまにか寝てしまった。
朝起きてそれがあの土石流の音だったと知った時は驚いた。ちなみに今の時点では単なるがけ崩れだと言われているが、一部の識者からは土石流だったのではないかという意見が出始めている。すぐ下にある学生マンションの6階にまで折れた木が突き刺さっている状況や離れた道路まで泥に埋まった状況を見れば土石流だったことは素人でもわかる。
今回の土石流を知った時、一人の友達と共にその子が話してくれた、木に刺さった錆びた大きな釘の話を思い出した。もう名前も忘れたが仮にA君としておこう。A君は私と同じく昭和33年に清水小学校に入学して松組で机を並べていた。A君の家には何回か遊びに行ったことがあるが学校でのA君の記憶はない。名前すら忘れたくらいだから深い付き合いはなかったんだろう。ただ問題はそのA君が当時住んでいた家が今回押しつぶされた家であったということだ。
当時A君は昼間はおばあちゃんと2人で暮らしていて、そのおばあちゃんが下駄を蝋で磨く内職をしていた関係で玄関先に下駄がうずたかく積まれていた。居間には我が家にはなかった仏壇があって、小さな骨壺がおいてあった。不思議に思ってA君にこれは何かと尋ねたら、A君は「それは子供のよ。」と答えた。それを聞いた時、カーテンが引かれて室内が薄暗かったせいもあったんだろうが、見てはならないものを見てしまったような気がしてちょっと複雑な気持ちになった。
一度だけ今回土石流で流された裏山に一緒に登って遊んだことがあった。A君の家のすぐ上に、何の木か知らないが大きな木が一本あって、その木に登って遊んでいるうちに、枝が二股に分かれたあたりに錆びた大きな釘が刺さっているのに気が付いた。私はそれが気になったので「この釘は何?」とA君に聞いてみた。A君はちょっと考えていた。
そして「じつはこの釘はだいぶ前からここに刺さっていて、これには不思議な力がある。無理やりこれを抜くと山が崩れてこの木が倒れる。だから絶対に抜いてはいかん。」と真顔で答えた。そんなことがあるのかと半信半疑ではあったが、気味が悪くなりその釘に触るのをやめた。
その後私の転校もあったりしてA君のこともすっかり忘れていたが、今回の土石流の場所を知った時すぐに思い出したのが66年も前のこの話だった。ひょっとして誰かがあの釘を抜いたのではないだろうか。そういう疑念が湧きあがった。あれは単なるA君の出まかせだったのかもしれない。まあ常識的にはそうだろう。
A君に関して覚えているのはこの話だけで、その前後の記憶は全くない。私にとってA君はこの話を伝えるためにいたような存在だ。そもそもA君が本当にいたのかどうか、考えているうちにそのことすら曖昧になってくる。しかし今回本当に山は崩れ木は倒れた。専門家がその原因を探るだろうが、私は誰かがあの釘を抜いたのが原因だと思っている。