無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと7889日 お盆の迎え火

13日午後8時頃に駐車場で迎え火を焚いた。女房は高校の同窓会に行っていたので今年は一人だったが、乾燥しているのか或いは要領がよくなったのか、すぐに火がついてよく燃えた。下に紙を敷いて井桁状に折ったおがらを積み上げた後、下の紙に火をつけるんだが、井桁の中心に点火しなければうまく燃えない。例年それがうまくいかず苦労していたが、今年はスーパーのレジから出てくる長いレシートを利用すること解決した。

15cmくらいのレシートを縦方向に折りたたみ、先の方を少し広げてそこに火をつけ、それを井桁の中心に差し込むという単純な方法だが、ごみになって捨てられるだけのレシートも、仏さまを迎えるのに役に立って、一仕事したとさぞや満足していることだろう。そんな馬鹿なことを考えながら火を眺めているといろいろな思い出が蘇ってきた。

初めて迎え火を見たのはもう70年近く前のことで、お盆に遊びに行った母の里だった。そこの伯母が夕方庭先で一人で何かを燃やしていたのを見て、何をしているのかと私もそばにしゃがんで眺めていた。伯母は空へ登る煙を眺めながら、「おじちゃんがこの煙に乗って帰って来るんよ。」と教えてくれた。

ただ、伯父はニューギニアのサルミ付近で戦死したこになっているが、遺骨が返ってきたわけではない。伯母は戦後10年の段階では、ひょっとしたらどこかで生きているのではないかという一縷の望みを持っていたのかもしれない。今もそうだが当時はニューギニアはもっと遥かに遠い彼方だ。たとえ生きていても帰ってくる手段はない。伯母も、たとえ生きていたとしても、現地に溶け込んで生きていくしかないだろうと話していたと、母から聞いたことがある。

走馬灯のようにいろいろなことが浮かんできて、その思い出に浸っているうちに火も消えかけた。今年はナスやキュウリの乗り物を用意してないので、帰ってくるのに少し余分に時間がかかるかもしれないと思い、消えかけた火を消さずにしばらくそのままにしておいた。3年前に亡くなった犬の小太郎も帰ってきていたはずだ。父母小太郎が仲良くこちらへやってくる姿が目に浮かんできて、なんか楽しい気持ちになった。