無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと7606日 乃木大将と要塞戦

先日、東京からやって来た友人が「坂の上の雲」の熱心な読者であるというので、松山にある坂の上の雲ミュージアムを案内した。私自身は司馬遼太郎の文学的手腕を評価しているが、彼の歴史観、とりわけ乃木希典に対する否定的な描写には違和感を覚えていたため、このミュージアムには特段の興味を抱いていなかった。

司馬は『坂の上の雲』の中で、旅順攻略戦における乃木将軍を「無能」と断じている。確かに、何度も突撃を繰り返して多くの将兵を死なせた指揮には批判の余地がある。乃木が「戦術を知らぬ精神主義の将軍」であるかのような印象を与える記述もあり、それが今日の一般的なイメージに定着してしまった感がある。

しかし、果たしてそれは公平な評価なのだろうか。旅順要塞は、ロシアの要塞建築の粋を集めた極めて堅固な構造物であり、その防御力はわずか数十年前のクリミア戦争におけるセバストポリ要塞をも上回っていた。クリミア戦争では、セバストポリを巡る攻防戦で両軍合わせて20万人以上の死者を出している。要塞戦とは元来、塹壕と砲弾と死の中で、少しずつ前線を押し上げる苛酷な戦いなのである。

近代戦の黎明期において、欧州列強もまた要塞戦において多数の犠牲を強いられてきた事実を踏まえるならば、旅順における損耗が特段「無謀」だったとは言い切れない。しかも、明治期の日本はまだ近代戦の経験が浅く、統帥にも制度的限界があった。乃木個人の資質を批判する前に、当時の軍事的・政治的文脈を理解する必要があるだろう。

むしろ乃木は、最終的に二〇三高地を攻略し、旅順を陥落させたという結果を残した。その事実だけでも、彼の指揮能力を単純に「無能」と片付けるのは早計に過ぎる。乃木の苦悩や葛藤、そして責任感の重さを慮ることなく、精神主義の象徴として矮小化することは、歴史を単純化し過ぎてはいないだろうか。

私はミュージアムを出たあとも、友人と共に司馬の評価について語り合った。文学としての『坂の上の雲』と、歴史的事実としての旅順攻略戦。その間には、越えがたい隔たりがあることを改めて感じたのである。