無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと7544日 科学と非科学の交差点

インドで起きた航空機墜落事故で、「機長が誤って燃料弁を閉じた」という報道がなされ、物議を醸している。一方で、そうした重要な弁には物理的な安全装置が備えられており、単純な誤操作は起こり得ないという専門家の声もある。真実はどうなんだろう。

この問題に触れたとき、私はある「得体の知れない体験」を思い出さずにはいられなかった。今から50年以上も前、私が若き機関士として貨物船に乗っていたときのことだ。

航海中、メインエンジンの操縦ハンドルは通常、がっちりと固定されていて、操作するには二段階の動作が必要となる。それを知らぬ者が、ただ押したり引いたりしてもビクともしない。それがある日、私の目の前で「ガチャン」という音とともに、ひとメモリだけ動いた。

当初は気づかず、当直終了前の点検中、排気温度の異常上昇でようやく異変に気がついた。誰も触れていない操縦ハンドルが航行中に勝手に動くなど、通常ではあり得ない。しかも、そのときすでに船は10日以上何の問題もなく航行していた。

おかしな話にはまだ続きがある。その頃、機関長が急逝し、遺体は冷凍庫に安置されていた。次の寄港地リオデジャネイロから日本に空輸する予定だった。操縦ハンドルの異変が起きたのは、奇しくもその数日前。しかもハンドルを元に戻した後、船速は通常の12ノットから15ノットへと、自然と上がったのである。

まるでリオへの到着を急いでいるかのようだった。

もちろん、こんな話をすると笑われる。機械が勝手に動くはずがない、科学的に説明がつかない、と一笑に付されるのがオチだ。しかし、その場にいた私にとっては、紛れもない現実だった。当時、共にハンドルの前にいた坂原機関士も、きっと覚えているはずだ。

科学の目で見れば、すべては偶然の積み重ねかもしれない。しかし、インドの航空機事故も、操縦系の安全装置をすり抜けて燃料弁が閉じられたとしたら、それも「理屈を超えた何か」が働いたとしか思えない。

我々は「運命」や「偶然」「錯覚」と言って片付けるが、そこには人智を越えた“見えない力”が作用しているのかもしれない。物理的には起こるはずのない現象が起こる時、人は初めてその存在に気づくのだ。

機械とは、無機質で無感情なものだと我々は思い込んでいる。だが、長い年月、人の手で動かされ、人の命を預かってきた機械が、時に人に何かを伝えようとしているとしたら――。それはまさしく、科学と非科学の狭間に存在する“領域”なのである。

笑う者には笑わせておけばいい。体験した者だけが知っている現実も、世の中には確かに存在する。