「一病息災」という言葉がある。健康そのものが幸福の証のように思われがちだが、実際には小さな不調や持病を抱えていた方が、かえって体をいたわり、無理をしないために大病を防ぐという意味だという。なるほどと思いながらも、自分がその「一病」を持つ立場になるとは思ってもみなかった。
三カ月ほど前、山で転倒した拍子に右手の中指と薬指を痛めた。たいしたことはないと高をくくり、湿布を貼って放っておいた。病院へ行けと勧める声もあったが、どうせそのうち治るだろうと気にも留めなかった。しかし、時間が経つにつれて指の可動域が狭くなり、気づけば握りこぶしがきちんと作れなくなっていた。
これが意外に不便だ。ものをしっかり握れず、包丁を使うのも、瓶のふたを開けるのも一苦労だ。何より、若いころからの習慣である正拳突きができなくなった。指が少々曲がらない程度なら我慢できると思っていたが、実際に生活の中で「握る」という動作がこれほど多いとは思わなかった。人間の手は本当に精妙にできているのだと、今さらながら感心させられた。
不便だからといって今になって病院に行くのも気が引ける。痛みがひいて、腫れもだいぶ治まった以上、医者に「なぜもっと早く来なかった」と言われるのが目に見えている。残りの人生この不自由な指とつきあっていくことになるだろうが、これもまた「一病息災」と思うようにしている。
この指のこわばりを感じるたび、あの山での不注意を思い出す。無理をせず、慎重に行動するよう自分に言い聞かせる。もしこの後遺症がなければ、また同じような油断をして、もっと大きな事故に遭うかもしれない。そう考えると、この小さな障害も自分への警告として意味を持つように思えてくる。
人に話すときは、「一病息災というのはこういうことだよ」と笑ってごまかすことにしているが、本音を言えば、治るものなら治したい。しかし、こうして不便を受け入れ、より慎重に生きることで、少しは人生の速度を落とすことができるのかもしれない。そして残りの人生、いたわりながらともに生きるのも悪くはないのかなと思うこともある。