「木村君の兵学校時代の成績と言うものは120人中どんじりから数えて10番目ぐらいだったろう。若い時分は、思慮の浅さから大した男ではあるまいとたかをくくってつきあっていた傾きがあった。その真価というか、かれという人間の本当のえらさがしみじみとわかってきたのはずっとあとになってからである。」
昭和四十六年十一月号の文芸春秋に掲載された「奇蹟を実現したヒゲの提督」で、連合艦隊参謀長・草鹿龍之介が語った言葉である。キスカ島撤退作戦を指揮し、全員を無傷で救出した第一水雷戦隊司令官・木村昌福少将への回想だ。
若き日の草鹿は、木村を取るに足らぬ男と見ていた。兵学校の成績も悪く、海軍大学校にも進まない。だが大東亜戦争という非常時が訪れると、その評価は逆転する。机上の理屈ではなく、命を賭して実行する胆力と判断力――。草鹿が戦後になって「彼の真価がわかった」と語ったのは、平時の秀才が有事の現場で無力だったことへの痛切な反省でもあったのだろう。
この逸話は、学校の成績とは何かを改めて考えさせる。点数や順位は一つの尺度にすぎず、社会に出れば八十点も百点も大差ない。どうしても順番をつけたいなら、あみだくじでも不都合はないかもしれない。
いまやクイズ番組でもドラマでも、「東大」が頭脳明晰の代名詞のようにもてはやされている。だが、戦後七十年、東大出の政治家や官僚が主導してきたこの国の混迷ぶりを見れば、学校の成績と実際の成果に相関があるとは到底思えない。私たちがそれを信じてきたのは、草鹿が出世した昭和初期と同じように、平時が長く続いたからではないだろうか。
しかし今、世界は混沌とした「有事の時代」に入った。前例も教科書も通用しない現実の中で求められるのは、草鹿のような平時の秀才ではなく、木村昌福のように「不可能を可能にする人材」である。危機の中でこそ、人の真価は問われる。
今回、初めて女性の総理が選ばれた。国民の多くは、戦後八十年の閉塞に終止符を打ってほしいと願っている。高市早苗首相に求められるのは、木村昌福のような「教科書にない決断」を下す勇気と、批判を恐れず実行する胆力だろう。
知識よりも覚悟、理屈よりも信念――その二つを兼ね備えたとき、初の女性宰相は真に「有事の時代のリーダー」として歴史に名を残すに違いない。