人はよく「金なんてなくてもいい」と言うが、その言葉を口にする人ほど案外お金の話が好きだ。儲け話でも損話でもいいが、聞いていて面白いのは、やはり人が損をした話だろう。もっとも、それが笑って済む話であればという条件つきだ。
五十年近く前の話だが、近所のHさんのおばあさんが、あの豊田商事に全財産をだまし取られたと聞いたときは、さすがに笑えなかった。堅実に真面目に生きてきた人が、人生の終わりであんな目に遭うとは。息子たちにも叱られ、失意のうちに亡くなったと聞き、世間では「神も仏もない話だ」と噂になった。欲というより、信じてしまった弱さを思うと後味が悪かった。
それに比べると、株や小商いで失敗した話は、どこか可笑しみがある。原因がはっきりしているからだ。欲を出した本人が見事に転んだという構図は、安心して笑える。兄のメロンパン騒動など、その典型だろう。
五十歳も近くなった頃、兄は突然、流行りのメロンパン屋に出資すると言い出した。スーパーの駐車場で、車から焼きたてを売るというよくある商売だ。最初は確かに売れて儲けも出たらしい。だが、そんな幸運が長続きするはずもない。やがて人件費が払えなくなり、最後は自分が車に乗ってパンを焼く始末だった。最終赤字は百万円単位と聞いた。
当時は法事等で人が集まると、この話は常に話題になった。兄はすっかり開き直り、「メロンパンのことなら何でも聞いてくれ」と胸を張って講釈を垂れ、小学生だった私の子どもたちからは「メロンパン博士」と呼ばれていた。金は失ったが妙な称号と話の種は残ったわけで、欲というものも案外律儀に帳尻を合わせる。
他人のことを笑ってばかりもいられない。私自身も、M石自転車株のおかしな話にあっさり乗せられた一人だ。自転車屋の株を持ったつもりだったのに、最後に手元に残ったのはM石ホールディングとかいう実体のない会社の株券だけ。その株券は、欲に対する戒めとして今でも額に入れて飾ってある。
女房はいまだにこの話になると機嫌が悪いが、株をやっている連中に話すとなぜか受けがいい。株で損した話は聞く分には面白いようだ。
欲は人を動かし、同時に人を滑らせる。うまくいけば自慢話になり、失敗すれば笑い話か、笑えない話になる。その分かれ目は、ほんのわずかだ。分かっていても、また欲を出す。その繰り返しを少し離れたところから眺めていると、人間というものはつくづく可笑しく、そして愛嬌のある生き物だと思えてくる。