2023年12月30日のブログで、有事の異才・木村昌福のような総理大臣の出現を願った。それから約二年が経ち、ようやくそれが現実になったように思える。石破の体たらくを見て、日本もいよいよ駄目かと感じた時期もあった。中国、北朝鮮、ロシアと、日本を取り巻く情勢を冷静に見渡せば、これはもはや平時ではなく、有事そのものではないか。にもかかわらず、岸田も石破も、その現実を本質的に理解していたとは言い難い。
日本の歴史を振り返れば、天照大神にはじまり、神功皇后に至るまで、この国は決して男だけが担ってきた社会ではない。むしろ、肝心な局面では女性が前に立ち、決断してきた国である。家庭の中においても、女が一度腹をくくったときの迫力を、身をもって知っている男は少なくないはずだ。
高市首相の就任からまだ二カ月しか経っていないが、その短期間で、これまで男の政治家たちが誰一人として成し得なかったことを、次々と現実のものにしている。まず、安全保障を「議論」ではなく「前提」として位置づけ、曖昧な言辞を排して国家の覚悟を明確にした。防衛力強化についても、先送りや玉虫色の説明をやめ、国民に正面から必要性と負担を語った点は、これまでの政権には見られなかった姿勢である。
また、対中・対露姿勢においても、いたずらに刺激を恐れることなく、言うべきことを言い、引くべき一線を明確にした。経済安全保障についても、理念倒れのスローガンではなく、具体的な規制と支援策を同時に打ち出し、「守る産業」「渡してはならない技術」をはっきりと線引きした。この明快さこそ、有事の政治に必要なものである。
さらに評価すべきは、官僚や党内実力者への過度な忖度を排し、決断の責任を自ら引き受けている点である。失敗の可能性を恐れて何もしない政治ではなく、批判を承知のうえで前に進む政治へと舵を切った。その姿は、調整役に終始してきた従来の首相像とは明らかに異なる。
平時の調整型リーダーでは、もはやこの時代は乗り切れない。今、日本に必要なのは、好かれる政治家ではなく、恐れられてもなお決断する指導者である。その意味で、高市首相の登場は偶然ではなく、時代が要請した必然だったのではないか。ようやく日本は、有事に耐えうる国家へと歩み始めたのである。
さて、高市首相の登場により希望の光が差し込んだ年末となりました。
来る令和8年が皆様にとってより良き年となりますようお祈り申し上げます。
1年ありがとうございました。