無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと7362日 水たまりの東京タワー

あれは雨上がりの朝だった。

 夜のあいだに降った雨はすっかり上がり、歩道にはところどころ水たまりが残っていた。電車を降り、いつものように会社へ向かって歩き出す。何年も変わらない通勤経路で、信号の位置も、歩幅の感覚も、もう体に染みついている。東京の朝の空気は、地方育ちの私にはいまだに少し落ち着かないところがあるが、それでもこの街で暮らす時間は、気がつけば人生のかなりの部分を占めるようになっていた。

 私はもともと船乗りだった。若い頃は、船に乗り続け、いずれ船長や機関長になるものだと、疑いもなく思っていた。実際、同級生の多くはそういう道を目指していたし、それ以外の人生など考えもしなかった。だが世界は、こちらの思惑とは無関係に、大きく、そして急激に変わっていった。

 円高、合理化、外航船員削減。新聞の見出しに並ぶ言葉は、やがて現実の重みをもって、仲間たちの人生にのしかかってきた。船会社で出世した者もいれば、肩を叩かれた者もいる。首を切られる側も、切る側に回った者もいた。私自身は比較的早く船を降り、陸の仕事に移ったから、どこか傍観者のような顔をして、彼らの話を聞いてきたのかもしれない。

 それでも、心の底ではずっと引っかかっていた。自分は正しい選択をしたのか。逃げただけではなかったのか。船の上で積み重ねるはずだった時間を、どこかに置き忘れてきたのではないか。そんな思いが、年を重ねるごとに、静かに澱のように溜まっていった。

 その朝も、特別なことは何もなかった。仕事の内容も、会議の予定も、だいたい頭に入っている。うつむき加減で歩きながら、今日もまた一日が始まるのか、という半ば諦めにも似た気分でいた。

 ふと、足元の水たまりが目に入った。

 舗装された歩道に残った小さな水たまりの中に、見慣れた形が映っている。赤と白の、あの塔だ。青空を背景に、東京タワーが逆さまに立っていた。風もなく、水面は驚くほど静かで、輪郭までくっきりと見えた。

 思わず足を止めた。

 「こんなきれいな景色があるのか」

 誰に聞かせるでもなく、そんな言葉が口をついて出た。水たまりの中の東京タワーは、空に立つそれよりも、どこか親密で、手の届くもののように見えた。毎日見上げているはずの塔なのに、こんなふうに見たことは一度もなかった。

 顔を上げる。

 そこには、青空を背にして、すっくと立つ東京タワーがあった。雲ひとつない空の下で、その姿はいつもよりもずっと大きく、揺るぎないものに見えた。奇妙なことに、その塔を見た瞬間、胸の奥に張りついていた何かが、音もなくほどけていくのを感じた。

 これまでの人生が、頭の中で静かに流れていく。船に乗っていた頃の甲板の匂い。仲間たちの顔。別れ際の冗談。陸に上がり、慣れない仕事に戸惑いながら過ごした日々。成功したとも言えず、かといって失敗と断じるほどでもない、どこか宙ぶらりんな時間。

 だが、そのどれもが、間違いだったとは思えなくなっていた。船に残った友人も、途中で降りた自分も、それぞれが、その時その時で、最善と思う選択をしただけなのだ。水たまりに映る東京タワーも、空に立つ東京タワーも、同じ一本の塔であるように、見え方が違うだけで、本質は変わらない。

 人生も、たぶん、それと同じなのだろう。

 上から見れば遠回りに見える道も、下から見れば、そこにしかない景色を映している。振り返って初めて意味を持つ時間もあれば、生きている最中には、ただ重たいだけの時間もある。だが、それらを含めてしか、その人の人生は成り立たない。

 気がつくと、私は背筋を伸ばして歩き出していた。行き先は変わらない。今日やるべき仕事も、明日の予定も、何一つ変わっていない。それでも、足取りは明らかに軽かった。

 人生に、あらかじめ用意された正解の道などないのかもしれない。百人いれば百通りの歩き方があり、そのどれもが、その人にしか歩けない道だ。成功も失敗も、後悔も回り道も、あとになってから一つの流れとしてつながっていく。

 雨上がりの朝、水たまりの中に東京タワーを見つけただけで、人生が劇的に変わるわけではない。それでも、与えられた時間を、そのまま引き受けて生きていこうと思えた。その感覚は、何ものにも代えがたい。

 この世に生を受け、こうして歩いている。それだけで、もう十分なのだと、その朝、私は初めて腹の底から納得した。