無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと7335日 国旗掲揚

天皇誕生日の朝、静かな住宅街に掲げた日の丸が、風もない空に力なく垂れている光景は、ある種の象徴なのかもしれない。2月23日、すなわち天皇陛下の誕生日という、かつては自然に祝意が表された日にさえ、国旗を掲げる家はほとんど見当たらない。祝日を休養日としては意識しても、その意味を身体で表す習慣は、いつのまにか薄れてしまった。

戦後日本において、国旗や国歌をめぐる議論は長く政治的対立と結びついてきた。日本教職員組合の教育姿勢をめぐる評価も賛否が分かれるが、少なくとも「国家」という言葉に距離を置く空気が、学校現場に存在した時期があったことは否定できないだろう。その結果、日の丸を誇りの象徴というより、過去の戦争と結びつけて語る文脈が強調されてきた側面はある。

しかし一方で、国旗は本来、特定の政権や思想の所有物ではない。時の内閣が誰であれ、国旗は国民全体の共有財産である。仮に高市早苗政権のもとで国旗損壊罪の創設が議論されるとしても、法による保護だけで国民意識が育つわけではない。罰則は外形を整えることはできても、内面の敬意までは強制できないからだ。

では、どうすればよいのか。第一に必要なのは、歴史を単純な善悪二元論で教えないことだろう。日本が過去に過ちを犯した部分があるのは事実だが、それだけで全体を覆い尽くすのではなく、復興や平和国家として歩んできた戦後の歴史も含め、立体的に伝えることが重要だ。自国の歩みを多面的に理解したとき、国旗は「悪の象徴」ではなく、複雑な歴史を引き受けた上で現在に立つ自分たちの印として見えてくる。

第二に、国旗掲揚を義務や政治的意思表示としてではなく、生活文化の一部として再定義することだ。祝日に玄関先に旗を出すことは、本来は静かな祝意の表明であり、他者への攻撃ではない。押しつけでも対立でもなく、「今日はこの国の節目の日だ」と共有する柔らかな合図として根づくなら、風景は自然に変わるだろう。

結局のところ、国旗と国民意識の関係は、法やイデオロギーよりも日々の実感に支えられている。自分の暮らしがこの国の制度や秩序に守られているという実感があれば、その象徴に対する敬意もまた自然に芽生える。街中に再び旗が翻るかどうかは、誰かを断罪することではなく、自国をどう語り、どう感じるかという地道な積み重ねにかかっているのだと思う。