2月8日の衆議院議員選挙では、高市自民党が316議席を獲得して大勝したことよりも、チームみらいが11議席を獲得したことに驚かされた。いったい何があったのか、ユーチューブではいろいろ騒がれているが、結果の分析が待たれるところである。
私も含めて多くの日本人は、日本の選挙はきちんとしていると疑いもなく信じてきた。多少の違反はあっても、票そのものが動くなどとは考えもしなかった。だが、かつて香川県で白票の水増しが発覚したとき、その「絶対」は少し揺らいだ。制度は人が運用する以上、完全無欠ではないのだと知らされたのである。
しかし、だからといってすぐに疑心暗鬼に陥るのも違うだろう。日本の選挙が戦後長く大きな混乱なく続いてきたことも、また事実である。大切なのは、信じるか疑うかの二択ではなく、「どうすれば信じ続けられるか」を考えることではないか。
たとえば開票作業。あの独特の緊張感の中で、黙々と紙を仕分ける人々の姿を思い出す。あの現場にさらに光を当て、記録を残し、後からでも確かめられるようにする。それだけで安心感はずいぶん違うだろう。電子化が進むなら、その仕組みもできるだけ見える形にする。難しい専門用語で閉ざすのではなく、「こうやって確認できます」と説明できる状態にしておくことが大切だ。
本人確認も同じだ。これまで日本は性善説でやってこられた。しかし時代が変わるなら、少しだけ厳格にしてもよい。厳しくするというより、丁寧にする、という感覚に近い。
そして何より、市民がもう少し選挙に関わることだろう。立会人になる、開票を見に行く、手続きを知る。遠くから制度を疑うより、近くで仕組みを知るほうが、健全な目を保てる気がする。
疑うことは、壊すことではない。むしろ、守りたいからこそ気になるのである。公正さを誇ってきた日本の選挙をこれからも保つためには、「大丈夫だ」と言い張ることでも、「もう信用できない」と突き放すことでもなく、少しずつ確かめ、少しずつ整えていくことなのだろう。
信頼とは、完成品ではなく、手入れを続ける庭のようなものかもしれない。放っておけば荒れるが、気にかけ続ければ、静かに保たれていく。選挙もまた、そのような存在であってほしいと思う。