無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10911日

 今日は1日雨だった。女房に火曜日は安売りの日だといわれていたので、久しぶりに近所のスーパーへ行ったんだが、面白いものをみてしまった。わしがレジに並んで順番を待っていると、横の休止中と書いてあるレジから怒号が聞こえてきた。焼きそばらしきものを5〜6個抱えたじいさんがレジをあけろと怒鳴っていたんだが、安売り日でレジが混んでいた中に、すいているレジがある、しめしめと思って駆け込んだら休止中だったので思わずかっとなったんだろう。あけろと怒鳴ってもあけるわけないわな。ひととおり怒鳴るとすごすごと隣の列に並んでいたよ。まあ、ひと暴れしなかったけまだましか。わしもあまり人の事は言えんけどな、人の振り見て我が振り直せと肝に銘じておこう。

 わしは小さい時小児喘息で、わしもしんどかったが、親もかなり苦労したようだった。今はいい薬もあり、発作をおさえることもできるが、当時はただおさまるのを待つしか無かったんだな。わしも子供を育ててきたのでよくわかるが、じっと見ていることしかできない親父やおふくろはつらかっただろうなと思うよ。そんなとき、近所にいたわしの友達のばあちゃんに「おかげをもらいなさいよ」といって勧められたのが金光教だった。そのばあちゃんはそれは立派な人だったので、それから年に2〜3回1時間半ほど汽車に乗って教会に通うようになったんだな。わしも15歳くらいまで親に言われるままによくわからずに拝んでいたが、体が元気になってくるとだんだん忘れてきた。今から思えば、これがわしのささやかな宗教体験の始まりともいえる。小児ぜんそくは成長し抵抗力がつけば直るから心配いらないと医者にはいわれていたから、わしは全く心配してなかったんだが、親にしてみたら藁をもすがりたい気持ちだったんだろうな。

 最近年をとって体力が落ちて来たらしく、少し喘息がでてきたようだが、今度は小児喘息ではないだろうから命取りになるかもしれんな。あと10911日もつかどうか、シングレアとシムビコートが必需品になってきてしまったぞ。

 今日作った柳川風卵とじはうまかった。昨日の肉じゃがといい、味つけはセンスがあると女房に褒められたよ。