ユーチューブを見ていたら、歌いながらアコーディオンを弾いている人がいた。楽しそうに演奏する姿を見ているうちに、私もアコーディオンを弾いてみたくなった。楽器を自由に操り、好きな歌を自分の伴奏で歌えたら、どんなに楽しいだろう。そんな思いが、急に湧いてきたのである。
とはいえ、いつまで続くか分からない。いきなり楽器を買うのももったいないので、娘が小学生の頃に使っていたピアニカを押し入れの奥から探し出し、まずは音を出すところから始めることにした。
考えてみれば、鍵盤楽器を弾くのは生まれて初めての経験だった。我が家では音楽など軟弱な趣味として扱われていたから、楽器に親しむ機会はなかった。それでも高校入試には音楽があり、移調や転調などを苦労して勉強したものだ。ところが、今になって鍵盤楽器を弾いてみると、実際に音を出すことができれば、あの頃の勉強もずいぶん分かりやすかったのではないかと思う。何事も、実際に経験してみなければ分からないものだ。
もう五十年も前になるが、練習船で一緒だった前田君の話を思い出した。卒業後、初めて乗った貨物船でアメリカのニューオーリンズに寄港した際、彼はデキシーランドジャズを聴いてすっかり魅了され、アコーディオンを買ったという。航海中に船室で練習していたら、隣の部屋からうるさいと怒られたそうだ。それでも練習を続け、多少は弾けるようになったらしい。
私が知っていた前田君は、特に楽器に縁のある男ではなかった。そんな彼にできたのなら、私にもできるのではないか。そんな期待もあった。
しかし、現実は甘くなかった。ピアニカなら右手だけで弾けると思ったのだが、どの指でどの鍵盤を押せばよいのかさえ、よく分からない。ほぼ毎日一時間ほど練習しているのに、指は思うように動いてくれない。二年前にけがをした右手の動きが悪いことも悔やまれる。まさか、この年になって鍵盤楽器を弾きたくなるとは、あのときは想像もしなかった。
それでも、三カ月ほど練習を続けている。今は「誰か故郷を思わざる」と「高原の駅よさようなら」の二曲を、アコーディオン用の楽譜を見ながら練習している。鍵盤を見ていれば何とか弾けるようになったが、見ないで弾くのはまだ難しい。これができるようになったら、いよいよアコーディオンを買うつもりでいる。
考えるだけで楽しみになる。アコーディオンを手に入れたら、どんな曲を弾こうか。昔懐かしい歌謡曲を一曲ずつ覚えていくのもよい。やがては歌いながら伴奏をつけ、気持ちよく一曲を弾き終える。そんな日が来たら、今まで知らなかった喜びを味わえるに違いない。人が集まる場所で演奏できるようになれば、楽しみはさらに広がるだろう。
もちろん、そこまで上達できる保証はない。十年続けたら、多少は格好がつくようになるだろうか。その頃には八十歳を過ぎている。それでも、十年後に弾けるようになっていたいのなら、始めるのは今しかない。何もしなければ、十年後も弾けないままなのだから。
これまでの人生で、楽器を弾ける人に憧れたことはあっても、自分で始めようとは思わなかった。今になって、その楽しみを知ろうとしている。ずいぶん遠回りをしたものだが、残された時間を考えて諦めるより、これからの時間に期待する方がよほど楽しい。
今日も押し入れから出したピアニカを吹いている。まだ指はぎこちなく、曲もたどたどしい。しかし、昨日できなかったことが今日できるようになれば、それだけでうれしい。
いつかアコーディオンを抱え、好きな歌を口ずさみながら、思いどおりに演奏できる日が来るだろうか。十年後の自分を想像すると、なんだか新しい人生が始まったような気がする。七十歳を過ぎても、まだ楽しみにできることがある。それだけでも、楽器を始めた甲斐があったと思う。

