無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

2018-01-01から1年間の記事一覧

生きること死ぬこと(あと9966日)

なぜ生きるのかと問われたらどう答えるのでしょう。楽しいから生きるのでしょうか。しかし、人生楽しいことばかりではありません。生きているといろいろ辛いことも悲しいこともたくさんあります。 人によっては、死んでしまいたいと考えたことがあるかもしれ…

後悔しない生き方(あと9973日)

元気でさえいればそれで満足だと思ってはいても、元気であればなおのこと、それだけでは満足できなくなるものです。 病弱だった子供の頃は、ただ元気であればということを望んでいました。しかし青年期になり、人以上に頑健になると元気でいることは当たり前…

親の貧乏話(あと9993日)

私の両親は、子供に家計に関する弱みを見せることはしませんでした。厳しいこともあったと思いますが、金銭的苦労は夫婦二人の胸の内に収めておいたのだと思います。大正生まれの人たちはそうなのかもしれません。 最近父の昭和30年代からの給与明細を整理…

一休さん(あと9996日)

有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け これは有名な一休禅師の和歌ですが、現生とはあの世へ行くまでの間、ちょっと一休みしているだけだから、何があろうと大したことはないし、悩むことも無いということなんでしょう。 でも本当でしょう…

庭の梅の木(あと9998日)

うちには、父親が残した猫の額ほどの庭があり、そこには紅梅白梅が植えられています。紅梅はだいぶ弱ってきているようですが、白梅はまだまだ大丈夫みたいです。 切り倒して駐車スペースにしたいという気持ちもありますが、父は死に際まで、梅の木のことを気…

人生の持つ意味(あと10000日)

今日であと10000日となりました。明日からは4桁になり、もう二度と5桁にかえることはありません。さて、次に生きて3桁になる日、あと1000日を元気に迎えることができれば、その時は案外死を心待ちにしているかもしれません。 こうして余命を毎日…

生と死(あと10001日)

今やったことも考えたことも、この瞬間に過去になってゆくということは、理屈ではわかっていても、なかなか捉えることができません。それらは全て消えていくのかというとそうでもなく、ある時に突然現れたりして、困惑させられることもよくあります。 通常毎…

人生の果実(あと10002日)

11月3日で67歳になり、人生も残すところ27年になってしまいました。27歳の時はどうだったのかと思い返してみると、将来の展望も開けず、こんな状態がこの先ずっと続くのかと、暗澹とした気分だったような気がします。 当時は、生まれてから27年は…

善と悪と(あと10005日)

45年も前になりますが、仕事でアメリカのニュージャージー州パースアンボイというところに行った時、夕方変な格好をした子供が家を回っているのを見て驚いたことがあります。 この時、ハロウィンという行事を知りました。 渋谷のようなことはなく、こじん…

幸せな生き方とは(あと10006日)

今のところ、これといって悪いところもないし、家庭不和もないし、住むところもあるし、飢え死にすることもありません。人から幸せか?と聞かれたら、「まあ幸せかな」と答えると思います。 では満足しているか?と聞かれたら、満足はしていませんと答えると…

幸せに生きたい(あと10007日)

人は幸せに生きたいと誰しも願います。しかし、人に欲がある限りそれは困難だと思います。 欲は思考や行動の原動力であり、これなくして進歩はありませんが、それは満足することを知りません。常に何かを渇望しています。 渇望の中には、決して幸せは生まれ…

闇の先にあるもの(あと10008日)

人生一寸先は闇です。その闇はどんどん現実となって姿を現し、過去となっていくのですが、人が歩いた後には過去が山のように残されているはずです。 そして闇からぬけだし、最後の現実となるのが死の瞬間ではないかと思っています。もう先はありません。すべ…

生きる力(あと10009日)

いつまでも生きたいと願ったところで、長生きしてもたかだか80数年というところでしょう。私の場合は94歳まで生きるかもしれませんが、それとても、願って実現できるものではありません。 普段は忘れていても、死はすぐそこにあることに変わりはありませ…

ふさわしい死に方とは(あと10010日)

ひと月ほど前に、2軒隣のTさんが倒れて救急車で運ばれたことがありました。だいぶ前に奥さんを亡くされて、ずっと一人で生活してきたのですが、だんだん年をとり、それも困難になってきていたようです。 入院して10日ほどたった日曜日に、町内のSさんから…

母のがんと丸山ワクチン(あと10011日)

今年のノーベル賞以来、免疫療法のオプジーボがよく話題にのぼりますが、15年ほど前に、母が末期の肺がんと診断され治療法が無かった時、東京の日本医大に丸山ワクチンを受け取りに行ったことがありました。 丸山ワクチンに関しては、当時から効くとか効か…

あと10017日

先日ソニーリーダーから電子書籍購入用として200ポイント貰ったので、少し足してヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本 完全版」を購入して読んでみたが、これはなかなか面白い本だった。出版後すぐにマッカーサーが日本語翻訳禁止にしただけあって、ほ…

あと10022日

新たな医学部不正入試が見つかったということで、大学関係者が記者会見で謝罪させられていたが、その場面を見て、この人たちは決して納得してないように感じたのは、わしだけではないだろう。差別はだめだというのは勝手だが、医者の仕事と他の公務員や会社…

あと10026日

10月7日に今年の秋祭り子供神輿巡行が行われた。事故もなく盛況のうちに終了したのでほっとしている。たかが子供神輿とはいえ、運行責任者として警察に届けているということは、万が一事故があった時はいやも応もなく矢面に立たされるわけで、責任の度合…

あと10033日

世の中にはいろんな人がいるものだが、わしなんかは昔から短気で有名だった。すぐにかっとする性格で、さらにそれが表情にでてしまうという最悪のパターンで人にも迷惑をかけてきたし、損もしてきた。この性格で得をしたことは一度もない。子供が同じような…

あと10039日

今のところ体にもこれといって悪いところもないし、贅沢さえ言わなければ食べることに困るということもない。何時に寝ても何時に起きてもいい。住むところもあるし、着るものもある。頭の働きや体の動きは多少鈍くはなったが、それでも誰に頼ることなく生き…

あと10044日

昨日の夕方、テレビのニュース番組で特攻隊生き残りという人を紹介していた。どこかの特攻基地で出撃前に終戦になった人のことかと思って見ていると、どうやら年齢が92歳らしい。そうすると大正15年か昭和2年生まれということになり、終戦時18歳か1…

あと10045日

「駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人」これは誰でも知っているだろうが、自分も含めて本当に理解しているかどうかは怪しいいものだ。わしなんかも67年生きてきたにもかかわらず、今頃になってしみじみとその意味するところを実感する機会が多くなっ…

あと10051日

先日中学校の同窓会があり、幼馴染だった友人と二人で参加した。卒業してすでに50年を過ぎて、クラス担任はみんな死んでしまった。同窓会というのも、やはり自分の担任が元気でいてくれた頃のほうが、昔話で盛り上がったものだ。特にわしは中学3年間同じ…

あと10054日

94歳まで生きるとしても、あと27年しかないということになるが、これが長いと感じるか、短いと感じるか、人それぞれだろうし、感じ方も一定ではないと思っている。現にわし自身もその時その時で違っていて、そんなに生きるのはちょっとしんどいかなと感…

あと10058日

8月半ば頃からパソコンの調子がおかしくなり、だましだまし使ってきたが、一週間ほど前になってとうとうフォルダーやエクスプローラーが開かなくなった。本体は使えることは使えるのだが、以前作ったファイルが読めないので仕事にならない。ネット上でいろい…

あと10064日

昨日久しぶりに近所のブックオフをのぞいてみたが、客も少なくなっているし、本の売り場そのものが縮小されていた。そろそろ古本で出ているかもしれないと思い、とある本を探しに行ったんだが、残念ながらその本は無かった。しかし同じコーナーに「KOKODA」…

あと10072日

昭和48年の4月のある日、21歳だったわしは浜松町で山手線を降りて、大きな荷物を担いで徒歩で竹芝桟橋へ向かった。3か月の日立造船向島工場での実習を終えて、やっと船に乗れる嬉しさに、高揚した気分で竹芝桟橋に到着した。向かい側には晴海埠頭があ…

あと10075日

普通の大人なら、脅されたり、カツアゲされたりしたら、間違いなく警察に被害届をだすだろう。今なら携帯電話でその場でパトカー出動を要請することもできる。良い世の中になったもんだ。昔住んでいた多摩地区には、一階が交番になっている賃貸ビルがあった…

あと10083日

夕方、送り火を焚いて今年のお盆も終わった。悲惨な結果となった大東亜戦争終結の時期と重なったため、お盆がより印象的な行事としてとらえられるようになったことは間違いない。しかし、敗戦でも、終戦でもどちらでもいいが、意識の上では、もうそろそろ戦…

あと10088日

二年前の4月から始まったこの生活も、3年目に入り町内会長を引き受けたことにより、少し様子が変わってきた。他人に生活のペースを乱されること無く、自分だけの完結した世界で、あと約30年を過ごそうと考えていたが、町内会や公民館で近所のいろいろな…