去年の年末に部屋の掃除をしていて、そこの置いてある小さな額に気が付いた。少なくとも20年以上は前からそこのあったので、気が付いたというのは正しくない。額の中身に気が付いたというべきだろう。
これは両親が元気なころ、芝不器男記念館に行った時に購入したものだ。馬車の切り絵の横に「桑の実や馬車の通ひ路ゆきしかば」という俳句が書かれている。芝不器男は明治36年に愛媛県松野町で生まれ26歳で夭折した俳人で、たった6年の間に多くの俳句を残している。
今まで何の気なしに見ていたこの額だったが、改めてその中に掲げられている俳句を見た時、その素直で純粋な表現に驚いたとともに、どのような境遇にあればこんな俳句ができるのかと、この芝不器男という人物に興味を覚えた。
昭和5年に亡くなっているので、愛媛県でも虚子、東洋城、山頭火、極堂、波郷などのように話題になることは少ない。長生きすればもっと多くの人に知られて、大きな影響を与えることができたのではないかと残念に思う。
麦車馬におくれて動き出づ
あなたなる夜雨の葛のあなたかな
うちまもる母のまろ寝や法師蝉
風立ちて星消え失せし枯木かな
椿落ちて色うしなひぬたちどころ
うまや路や松のはろかに狂ひ凧
谷水を撒きてしづむるどんどかな
芝不器雄の俳句を上に挙げたが、一見なんの衒いも無く当たり前の風景を当たり前によんでいて、その情景がすぐに浮かんでくるようだ。たしかに読む人にそのように思わせるが、少しでも作句の経験があれば、逆にこの情景からこの俳句を生み出すことの難しさがよくわかると思う。
たった6年でこれだけの俳句を生み出すということは、俳句は師匠から学んでうまくなるのではなくて、うまい人は初めからうまいのだと言わざるを得ない。つまり、座の文芸である俳句の結社では、学ぶのは師匠の俳句に対する考え方やその生き方であって、こまかな言葉選びや添削ではない。うまいも下手も師匠に共鳴する人たちが集まり、めいめいが自分の俳句を楽しめるのが句会の醍醐味でもある。
俳句とは、一瞬見た情景を切字を響かせつつ季節の中に取り込むという行為だと思っている。切字は俳句にとっては重要な要素で、これをないがしろにするのは俳句とは言えない。石田波郷が「霜柱 俳句は切字 響きけり」と言う俳句を残しているが、まさにその通りだ。興味があればお笑い芸人がやっている俳句番組をみて、そこで褒められている俳句がどんなものか一度見てみるのもいいだろう。