無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

あと10525日

最近朝の雑巾がけのときに、FireTVのユーチューブで昭和の音楽を聴いている。わしにとっての昭和の音楽とは昭和20年から50年くらいまでのもので、それ以降のものは、わしの記憶とあまり結びつかないので、興味が無い。更に昔の映像がバックに流れている…

あと10526日

初めてハイヤーに乗せてもらったのは、3歳か4歳の頃、兄貴と2人でアデノイドの手術を受けた時だった。手術がんばった褒美にでも乗せてくれたんだろう。ばかでっかいアメ車だったが、車内が家みたいに広いんでびっくりした。当時はまだタクシーが普及して…

あと10527日

昭和48年の1月から3月まで3ヶ月間、尾道市の日立造船向島工場で工場実習を行ったことはあと10588日に書いたが、その時に、実習の合間に新造船や修理、定期点検に入って来る様々な国の船を見に行った。その中で、一番頻繁に訪れて、乗組員とも知り…

あと10528日

この土曜日曜は快晴の良い天気だった。昨晩は長男一家が泊まっていったが、2人の孫たちもそれぞれ成長して、だいぶ面白くなってきた。とは言ってもまだ、幼稚園の年中と2歳だから、まだまだ眼を離す事はできない。いつもならHuluでアンパンマンとかしまじ…

あと10529日

家電製品がいつごろから一般家庭に普及し始めたかわからないが、うちが電気釜を買ったのは、わしが小学校の3年生くらいだったと思う。これは画期的だった。東芝の電気釜だったが、いくらいしたのかは知らない。それを買うまで、毎朝おふくろが早く起きて、…

あと10530日

小さい頃から、親父の実家に行くとヤギがいて、時々その乳を飲ませてくれた。生臭くて、お世辞にもうまいとはいえなかったが、昔は牛乳の代用に使っていたようだ。実家でやぎを飼い始めたのは終戦後だった。なぜヤギを飼い始めたのか、そこには終戦後の殺伐…

あと10531日

わしは運の悪い事に、リーマンショックの少し前にFXを始めて、民主党政権の円高デフレの頃にやめてしまった。負けが込んだからで、まさか78円までいくとは考えても、みなかった。あの白川とかいう、平成の貧乏神には恨み骨髄だな。リーマンの問題が表面化…

あと10532日

今日は朝から雨で、こんな日は誰でも少しは気持ちが沈んで来るんだろうが、わしは1日中家にいるようになってから、こういうことが特に気になりだした。朝起きて雨が降っていても、仕事に出かけなければ、という気持ちがあれば、嫌だなと少しは思っても、気…

あと10533日

4月の半ばくらいに、筋向かいの更地が、近所の幼稚園の運動場になった。この場所は、わしの親友の家があったところなんだが、丁度21世紀になった頃に、一人住んでいたおばさんが、岡山にいる長男のところに引き取られて行って以来、ずっと空き家になって…

あと10534日

去年の今頃は、それまでに経験した事の無い、特殊な経験をしていると思っていたはずだが、1年経ってみると、特殊でも何でも無い、それが生活の一部になってしまった。去年のあの興奮はどこへいってしまったんだろう。仕事をやめて一日中家にいても、何とか…

あと10535日

犬の花子は小太郎より2年半遅れて、2009.11.21に我が家にやってきた。二男も大学生になって、家を出たので、女房も以前の仕事にもどって働くことにした。しかし、 そうすると昼間は小太郎だけになるので、それでは可哀相だから、もう1匹犬を飼おうかと女房…

あと10536日

最近、犬の小太郎が元気がないので、危ないんじゃないかと話したら、女房につまらんこというなと怒られた。小太郎を買いに行ったのは、二男が高校2年、長男が大学2年、長女は社会人1年生の5月だったので、もう10歳になる。既にじいさんであることは間…

あと10537日

この辺りは、温暖な気候なのでりんごはできない。わしが初めてりんごの木を見たのは20歳の時だった。知合いに長野出身の人がいて、その人の実家にお邪魔したときに篠ノ井線の車窓から見た、川中島あたりの風景を今でも忘れられない。くねくねと曲がって群…

あと10538日

わしが生まれてすぐに今の場所に引っ越して来たから、今年で66年目になる。うちの家というのは、100m程離れたところに建っていたのを、一晩で引っ張って来て、今の場所に据え付けたものだが、建て付けもよくないし、あまり良い家でもなかったようだ。そ…

あと10539日

一昨日の晩から、女房の胃痛が始まり、昨日の夜まで続いた。女房の胃痛は若いときからで、結婚したときはすでに胃痛持ちだった。今まで何回も病院で検査もしてきて、結局胃炎だとかいわれているが、根本的原因はわからずじまいだ。ピロリ菌除去とかもやった…

あと10540日

満員電車で、女性に痴漢だと言われて、否定しながら逃げた人が、電車にひかれて亡くなっていた。ほんとうに痴漢だったかどうか、本人が亡くなった以上誰にもわからなくなってしまった。わしも若い時10年程東京にいたので、朝夕の満員電車は経験しているが…

あと10541日

かれこれ60年近く前の話だが、うちの近くに結構名の知れたM鮮魚店という魚屋があった。店舗も持っているが、仲買い人でもあったようだ。大通りに面しているので当時は人通りも多く、朝の時間帯には、新鮮な魚を買い求めにくる客でごった返していた。今のよ…

あと10542日

地図というものを最初に意識したのは、兄貴が小学校2年生の時に、電電公社の写生大会で佳作に選ばれて、賞状と記念のメダルをもらったときだった。幼稚園で一緒だった近所のK君とわしが、家の前の側溝のわきに座って話していたら、兄貴がメダルを持って来て…

あと10543日

わしは酒も煙草も、親に隠れて17歳位から時々やっていたので、実は自分の子供等がそんな事にならないか、密かに心配していたところ、長女長男は問題なかったが、二男が煙草所持で警察に補導されてしまった。法律で禁止されているんだから、そんなものを持…

あと10544日

わしは船乗りの経験は長くはないが、かえって短い期間だったからこそ、受けた印象がマンネリ化せずに、記憶に残っているといえるのかもしれんな。パイロットの件にしても、何十年も乗っていれば、いちいち覚えていないだろう。当時、新米機関士で、見たり聞…

あと10545日

昨日の続きで、カルカッタへ向けてのわしの最初の航海の様子だが、わしもインドは行ってみたい国だったので、期待していた。 『機関室内にあるコントロールルームには当直の宮崎二等機関士と操機手の前田さん、河川航海ということで機関室の責任者である山尾…

あと10546日

朝の掃除をしながら、ユーチューブで昔の歌番組などの映像を見ていると、時々NHKの紅白歌合戦がでてくることがあるが、この間、わしにとって一番思いで深い、昭和48年の映像が流れていたので思わず見入ってしまった。わしはそれほど熱心に紅白を見ていた方…

あと10547日

最近はどの公園に行っても、球技禁止の看板が立っている。うちの近所にある市営公園もそのようになっているようだが、20年くらい前までは、それほど厳しく言われなかった。うちの子等もボール遊びしたことあるし、時にはわしも付いて行ったこともある。た…

あと10548日

小さい頃よく読んだ本の中に、大平陽介著「少年少女日本剣豪物語」というのがあった。ハードカバーの立派な装丁の本で、値段も高かったんじゃないだろうかな。初版が昭和31年らしいから、おそらく兄が買ってもらったものだろう。塚原卜伝、林崎甚助、柳生…

あと10549日

3年生で小学校を転校して、びっくりしたことの1つに、クラス全員が、毎月学研の本をとっていることがあった。今では本の名前すら、はっきり覚えていないが、『小学3年生の学習』或は『学習なんとかかんとか』、大体こんな感じだったと思う。わし自身あま…

あと10550日

4月になってから左腕がしびれるようになった。安静にしていればすぐに治るだろうと思っていたが、一ヶ月が過ぎてもほとんど変わらない。首を後ろにそらした状態で、頭を左方向に回すと、左の三角筋から親指を結んだ線に沿ってしびれる。しびれるだけで筋力…

あと10551日

3月18日に亡くなった従兄弟のJさんの四十九日法要があった。今回もわしと、従兄弟のMさん、Rさんの3人で出席した。今回は自宅での法要のあと、納骨があったが、あの地区の墓地へいくのは本当に久し振りだった。おふくろが元気な頃はお彼岸になると、車で…

あと10552日

昨日で2年目にはいったことを書いたが、1年経とうが2年経とうが過ぎた事は忘れるに限る。重荷はできるだけ勘弁してもらって、あの世への旅路は身軽に行きたいものだ。この一年、振り返らない、反省しない、溜め込まない、吟味しない、忘れる、ということ…

あと10553日 ブログ1年

憲法記念日 国旗掲揚せず 去年の5月3日(火)憲法記念日に『無駄に生きるとはどういうことか』というブログを書き初めて1年、365日経った。去年3月31日で仕事をやめて、4月から生活が大きく変わった。さまざまな気持ちの変化もあった。わしは終わ…

あと10554日

昭和50年の2月頃、わしはニューヨークで、3国間輸送のタンカーを下船して、日本へ帰ってきた。次の寄港先がロッテルダムのユーロポートということを知っていたら、もう一航海したんだが、この会社は出港直前になるまで何処に行くかわからなかった。極端…