無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧

あと10072日

昭和48年の4月のある日、21歳だったわしは浜松町で山手線を降りて、大きな荷物を担いで徒歩で竹芝桟橋へ向かった。3か月の日立造船向島工場での実習を終えて、やっと船に乗れる嬉しさに、高揚した気分で竹芝桟橋に到着した。向かい側には晴海埠頭があ…

あと10075日

普通の大人なら、脅されたり、カツアゲされたりしたら、間違いなく警察に被害届をだすだろう。今なら携帯電話でその場でパトカー出動を要請することもできる。良い世の中になったもんだ。昔住んでいた多摩地区には、一階が交番になっている賃貸ビルがあった…

あと10083日

夕方、送り火を焚いて今年のお盆も終わった。悲惨な結果となった大東亜戦争終結の時期と重なったため、お盆がより印象的な行事としてとらえられるようになったことは間違いない。しかし、敗戦でも、終戦でもどちらでもいいが、意識の上では、もうそろそろ戦…

あと10088日

二年前の4月から始まったこの生活も、3年目に入り町内会長を引き受けたことにより、少し様子が変わってきた。他人に生活のペースを乱されること無く、自分だけの完結した世界で、あと約30年を過ごそうと考えていたが、町内会や公民館で近所のいろいろな…

あと10096日

文科省の役人が、自分の息子を東京医大に裏口入学させたということがあったが、おかしなことに、野党国会議員が関与していたという事実が出てきた途端に、報道されなくなってきたように感じている。まあ、そんなことは毎度のことなので、別に驚かないが、わ…