無駄に生きるとはどういうことか

うちの一族はがんで死ななければ94まで生きると、叔父の葬儀の日に叔母にいわれた。聞いてみると確かにわしの親父他何人も94で死んでいる。そこでわしも94の誕生日に死ぬと決めて、それまでの日数をあと何日と逆算し、切りのいい64で仕事も辞め、死への準備にかかった。その日々をブログに書いている。

あと10853日

 娘夫婦の世話で、ここのところ女房が仕事を減らして家にいるんだが、以前は飯の支度などもやってもらわないと、おまんま食い上げになるので随分あてにもしていたのに、さて、わしがずっと家にいて、何でもわしだけでやる習慣がついてきたら、なんとなく鬱陶しく感ずることがあるんだな。まだかけだし主夫で、たいしたことはできないし、時間もかかるが、誰もいない昼間に犬2匹とcookpadなんぞをみながら、自分のペースでのんびりと料理を作るのは楽しいもんだ。しかし、女房がいるとそうはいかないんだな。向こうも何十年続けて来た自分のペースがあるし、しかもそれを強要してくる。まだ作り始めないのか?とか、先に薄焼き卵を作れとか、手順に迄口を挟んでくるから、どこかにすっこんどれと言いたくなることもある。言わないけどな。

 むかし、わしら夫婦がわしの実家で親と同居するかどうか話した時、おふくろは女房に、一家に主婦は二人いらんから、一緒に住むのならあんたは働きにでなさいと言っとったのを思い出した。確かにその通りだな。わしのようなかけだし主夫でもそう思う。しかし、わしとしても全部任されては荷が重いのも事実だから、女房がいるときは、わしが我慢して教えを乞う、という形にもっていったほうが円満にいくんだろうな。

 掃除道、飯炊き道に続いて、我慢道として我慢の道を極めてみるかな。